パスピエ『演出家出演』(Warner)

|
パスピエ『演出家出演』.jpg

 パスピエのメジャー・ファースト・フル・アルバム『演出家出演』、これはかなり好きだ。正直、『ブンシンノジュツ』『わたし開花したわ』『ONOMIMONO』を聴いての印象は、しっかりとした音楽理論に基づいた良質なポップ・ソングを鳴らすバンドでしかなかったし、飛びぬけた特色がなかなか見えにくいバンドだと思っていた。言ってしまえば、何かしらの作業中に流すBGMとして愛聴はしていたものの、作業の手を止めさせ1対1で向きあわせる引力を感じることはなかった。


 しかし本作にはその引力がある。デビュー当初から顕著だった、匿名性とチラリズムを上手く活用したプロモーション同様、本作もまた、バンドが飛躍するための過程におけるひとつの基点として作られており、そこにはパスピエの綿密な計算を窺うことできる。


 「フィーバー」のMVで初めてメンバーの実写姿が披露され(顔は確認できないが、これも意図的に隠しているのだろう)、最新のアーティスト写真ではほぼ全身を明らかにするなど徐々にその露出度を高めているが、この流れと同期するかのように、本作はポップ・アルバムとしての高い音楽的彩度を獲得している


 これまでのパスピエは、チャクラ、プラスチックスといった80年代初めに活躍した日本のニュー・ウェイヴ・バンドの要素を、現在のJ-POPに通じる複雑なアレンジで纏ったような音楽を鳴らしていたが、本作ではその面白さを引き継ぎつつ、『Low-Life』期のニュー・オーダーのサウンドをアップデイトしたような「シネマ」、シンフォニアな展開が面白い「カーニバル」など、パスピエの幅広い音楽性を顕在化させた曲が多く収められている。


 アルバム全体としても、さまざまなジャンルを跨ぐフットワークの軽さを見せながら、勢いを殺すことなく曲が矢継ぎ早に展開され、あっという間に聴き終えてしまう。1度聴いたら忘れないキャッチーなメロディーは聴き手の心と耳に突き刺さり、なおかつ何度も聴きたくなる中毒性を携えている。曲自体の完成度も高く、それを多くの人たちに響かせることができるバンドの力量も素晴らしい。この力量が過去の作品と比べてよりわかりやすく出ているのは、ライヴで演奏することを意識したアレンジが多いのも関係している。それゆえ本作は、パスピエ史上もっともバントとしての姿が目に浮かぶ作品であり、そう思わせるだけのアグレッシヴさがある。


 また、そうした作品に聴き手をコミットさせる秀逸な歌詞も光っている。具体と抽象のはざまを上手く突いた言葉は余白を作りあげ、聴き手の想像力を活性化させる。チャクラの「いとほに」を思いださせる「△」のように、言葉のリズムで遊んだような歌詞もあるが、基本的には平易な言葉を巧みに組みあわせることで多彩な表情を演出している。


 そして、本作をiPodのシャッフル機能で聴いて思ったのが、本作は正しい曲順以外の曲順で聴いてもアルバムとして成立する流れを見いだせるということ。これはおそらく、それこそLCDサウンドシステムが「Losing My Edge」で歌ったように、YouTubeを介して音楽史のあらゆる時代にアクセスでき、その積み重ねによって聴き手のなかに"個人史としての音楽的文脈"が形成され、そこに依拠した聴き方が遍く広がった"今"をパスピエなりに意識した結果なのではないか? だからこそ、多くの聴き手を誘引するためにパスピエは、音による聴覚的刺激だけでなく、ヴィジュアル・イメージやアートワークといった視覚的刺激も活用しているように見える。もちろんこうした芸当は、誘引した先に"魅力的なポップ・ソング"というもっとも重要な核がなければ意味を成さないが、パスピエはその"魅力的なポップ・ソング"を作ることができる。


 とはいえ、本作において何よりも興味深いのは、大きな伸びしろが際立つ点だ。本作も十分に高い完成度を誇るが、それ以上にまだ明かしていない引きだしの多さに興奮させられる。『わたし開花したわ』『ONOMIMONO』『演出家出演』と、タイトルに回文を使いつづける遊び心はまだまだ発展していくはず。そうなれば、過去の膨大な量の音楽を参照する"データベース・ミュージック"が当たりまえとなり、点を繋げる編集能力に長けたバンドやアーティストが多く見られるようになった現在の奥深くに潜む普遍性、いわば点を繋げた"先"を炙りだせると思うのだが...。これからが本当に楽しみなバンドである。



(近藤真弥)

retweet