環ROY『ラッキー』(POPGROUP)

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《期待も 心配も 未来と言えたならば いますぐリライト》

(「Kids」)


 彼の近作を振り返ってみよう。2nd『Break Boy』は日本におけるヒップホップやそれを取り巻く状況への苛立ちを直接的に表明したが、それは私が以前レヴューで書いたように『島宇宙内部でのみ消費され、拡大することは無く、「一過性のエンターテイメント」として消費されることになってしまう』、一言でいえばテンプレートに陥ってしまっているという欠点を持っていた。続く前作『あっちとこっち』ではそういった直接的な表現は一切取り除かれ、ラブソングという形式を用いてヒップホップについて歌っていた。それは普遍的なフォルム(=ラブソング)によって包まれた穏やかなレジスタンスであり、『Break Boy』よりも力強く、また広がりを持って(それこそ「あっちとこっちに」)彼の日本のヒップホップへの思いが強く伝わってきた。


 そして、環ROYというアーティストの特異性は彼のアルバムだけ聴いていてはわからない。むしろ、彼の本質はアルバムの「外」にこそあると言える部分も少なからず存在する。そのため、彼のアルバム「外」での活躍についても少し記す必要があるだろう。これは環ROYの2013年のライヴ・スケジュールなのだが、コラボ相手の幅の広さには驚くばかりである。4月だけのラインナップを見ても、蓮沼執太、U-zhaan、戸高賢史(ART -SCHOOL、KAREN、Ropes)とコラボレーションをし、5月まで見ると世武裕子がいる。


 このような活動を知れば、彼が日本のヒップホップへの現状に苛立ちを覚えたくなる理由もわかる気がする。彼はあまりにも自由であり(そしてその自由さがヒップホップの本質であると彼は信じている)、だからこそ、いつしか作り上げられてしまった「日本のヒップホップ」という枠内の中で不自由さを感じていた(その感覚はおそらく今も続いているだろう)。


 では、彼にとっての4thアルバム『ラッキー』の内容に踏み込んでゆこう。


 まず、一聴して感じるのは、各楽曲のトラックメイキングの素晴らしさだろう。今作は、三浦康嗣、蓮沼執太、Himuro Yoshiteru、戸高賢史、ゴンドウトモヒコの5人がそれぞれトラックを提供している。そして、私見ではこのアルバムの骨格を形作っているトラックメイカーは三浦康嗣、Himuro Yoshiteru、ゴンドウトモヒコの3人と言える気がする。


 冒頭2曲「ワンダフル」、「Kids」、後半の「いまここ」を手がけている三浦康嗣のトラックは、瞬くように明滅する電子音、アップリフティングなシンセ、暖かく差し込まれる生楽器の音色、それらを包み込むストリングスなどが巧妙にエディットされており、このアルバムにおいて「ハレ」の雰囲気を醸し出している。「ハレ」と言っても、誰もが共有できる心が持ち上がるもの。今回、取材で彼は、頑張ってライト(軽く)してみた、だから、『ラッキー』というタイトルにした、と言っているが、今までになく、トラックメイキングの開かれ方と呼応してリリックも誰もに、響く言葉が選ばれているように思える。おそらく、街でふと流れていても、やわらかく言葉が心に引っ掛かるような、例えば、以下のようなリリックは平易に美しくも響く。


《話が出来なくても ここからは聴こえるよ だから話し続けよう 聴こえてるでしょ》

(「そうそうきょく」)


《離れた所から 眺めているならば みんな忘れてるさ だけど楽しくするんだ》

(「little thing」)


《この瞬間をきっかけにすれば 忘れてただけで思い出すと 変わらないもの 見えてくるの どこにいても思い出せるのならきっと あたりまえも光りだすよ》

(「電車」)


 シンプルなタイトルに優しい言葉、誰もがそれをどうとらえてもいいという意味で、『あっちとこっち』で書いた"ポジティヴィティー"という概念がより突き詰められている。しかし、それは楽観や無邪気な明るさではなく、どうしてもシリアスに、また、共犯言語内でムラ化してしまう中で音楽が交換されてしまう瀬に、あくまで衒いのない感情をのせること。だから、恋愛を巡る曲や苦悩や不安も示す曲や音像もあり、例えば、「台風」、「VIEWER」を手がけているHimuro Yoshiteruは三浦とは逆に、「ケ」のサウンド・メイキングを担っている。鈍く、ずるずると進んでゆくようなチップチューンを思わせる電子音や不穏さをわずかに帯びたレイヤー。


《昨日別れ際に君は泣いていた なかった事にできれば楽なのにな》

(「台風」)


 これだけ多様なトラックメイカーやミュージシャンが各トラックを手がけているにも関わらず、これほどまでに一体感を感じさせるヒップホップ・アルバムも無いだろう。それぞれの個性が反映されながらも、トラックメイカー全員が申し合わせたかのように、エレクトロニカを基調とした端正な、そしてトラックを提供してきたことには驚きを感じるし、今、環ROYのラップを乗せたいトラックということについて各トラックメイカーがある種の統一的な見解を示しているということも非常に興味深い。上のように「ハレ」と「ケ」で提示した見方は多少図式的に見えるかもしれないが、アルバム全編を通してある種のストーリーを感じたとすればこのような構成が存在しているからだろうし、しっかりとした「流れ」のある作品になっていることがよくわかる。ここまでコンセプチュアルなフォルムをまとったヒップホップのアルバムというのもなかなか見当たらないのではないか。


《気付けばいつのまにか 夜が来て次の朝が来ちゃう だから怖がらないで 用意をして次の朝を歌う》

(「いいやつ」)


 この極めて優しいアルバムを前にどういう感情を持てばいいのだろう。いや、「優しいアルバム」などという言葉に抵抗感を覚える方もいるかもしれない。私も「優しい」などという使いどころが難しい、繊細な形容詞を音楽に対して使用することは基本的にはしないようにしているつもりだが、このアルバムに対しては思わずその言葉を使いたくなる。そしてこの「優しさ」がこのアルバムの本質であり、現在の環ROYの表現の核に位置するものなのだろう。


 今作において、『あっちとこっち』から彼のその姿勢はまったくブレを見せず、それどころかより完成度を上げて、そして、静かにその歩幅を、街を歩き往く人たちに合わせてきた。このアルバムのラストナンバー「YES」は前作からの彼のテーマ(と私が考えている)"ポジティヴィティ"についての彼なりの一つの答えだ。


《なにげに鏡をみたら なぜか自分ではなくて 君であることにある日気が付いた 不思議だけど幻じゃないよ すがたかたち何もかも違うけど そこにいたのは僕だった》


 僕はここまで美しい日本語ラップのリリックを読んだことが無い。心からそう思えるほど「YES」のリリックは比類なき輝きを放っている。今、あえてでも強がりでもなく、このような素晴らしいリリックで「YES」とラップできるミュージシャンは環ROYだけだろうし、それは日本だけに限った話ではないだろう。日本語ラップに「NO」を突きつけ、常にシーンの外に居続けた男がたどりついた言葉が「YES」だったというのはなんとも感動的だ。きっと彼はヒップホップの枠組みを震わせながら、これからも様々な形で「YES」を歌い続けるのだろうし、そうあって欲しいと心から思う。慎ましげで、優しく、それでいて力強いこの傑作が、日本のヒップホップの土壌で生まれたことが嬉しくてたまらない。


《はじめましてそしてさようなら 涙がこぼれ光がこぼれる それからのYES》



(八木皓平)

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