KOBO TOWN『Jumbie In The Jukebox』(Cumbancha / RICE)

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 20世紀初頭から第一次世界大戦の混沌期に、世界中であまた、今に伝承されるポピュラー・ミュージックが各国で「意訳」された。例えば、アルゼンチンのタンゴ、キューバではソン、カリブの諸島、特にはトリニダード・トバゴで発達したカリプソ。カリプソとは、言語的な意味性よりも4分の2拍子のリズム、また、コミュニケーション・ツールとしての「機能」が音楽的側面だけではなく、文化的諸相に共振し、なおかつ、音楽が根源たる自由を希求するものとしての強度を確保したものとして、今でも世界中のカルチャー、アーティストに影響を与え、カリプソを根脈としながら、混在した音楽要素を巻き込み、鋭くも豊潤な稔りを残し続けている。もしも、音楽のイメージにピンとこなくても、ジャマイカ系アメリカ人のハリー・ベラフォンテの「バナナ・ボート」はどこかで聴いたことがあるかもしれないが、マイティー・スパロウ以降の、ソカなどのよりダンサブルな傾向が近年は色濃く、人気を博してもいる。


 このカナダはトロント出身のバンド、コボ・タウンはセカンドとなる『Jumbie In The Jukebox』において、生演奏で、現在の温度での基本、オールド・スタイルともいえるカリプソを奏でる。コボ・タウンとは、2004年に結成された7人組で、そのバンド名の由来はトリニダードの首都であるポート・オブ・スペイン周辺の海岸沿いについたニックネームといえるもの。ヴォーカル、作詞・作曲も担うフロントマンであり、トリニダード出身の白人、ドリュー・ゴンサルヴェスが率いる他メンバーはジャマイカからスロヴェニア、中国系インドネシア系、無論、トリニダードからまでと幅広い。アーティスト写真を見ても分かるように、ボーダーレスな風情を漂わせ、世界中のフェスやイヴェントでも、開放的なムードを与えるライヴ・パフォーマンスも行なっている。


 06年のファースト・アルバム『Independence』では、確かな演奏スキルと絶妙なカリプソ解釈、レゲエ、ズークといった音楽を攪拌し、音楽の躍動そのものを伝え、その作品を契機に、北米だけではなく、欧米諸国などにもグループとしての認知度が一気に高まった。そこから、スタジオ作品としては、間隔は空いたものの、待望のセカンドとなる今作ではプロデューサーにイヴァン・ドゥーランを招き、充実した内容になっている。イヴァンといえば、プロデューサー、ミュージシャン、《Stonetree Records》のレーベル・ディレクターとして活躍し、ベリーズのガリフナの音楽を広めるだけでなく、そのレーベルからの"プンタ・ロック"の筆頭格たるアンディー・パレシナの『ワティーナ』では07年のWOMEX(The World Music Expo)にて賞を取るなど、多岐に渡った活動そのものに注視されている。


 本作は、怜悧にルーツ的なカリプソをさらになぞりつつ、レゲトン、現今のベースメント・ミュージックとして話題のムーバートン風のリズムが要所にうかがえるところがいかにも"らしい"。イヴァンの参加もあってか、視角的にカリブ海音楽そのものへの深みが増し、元々高かった各メンバーの確かな演奏技量やセンスが巧みに絡み合いながら、堅苦しさを全く感じさせない隙間を活かしたサウンド・ワークが活きている。そして、楽しく穏やかな曲調が多い中、ふと混じってくるマイナー調の切ない「Diego Martin」、真摯な歌詞が胸を打つ「The War Between Is and Ought」、と多少の試行も浮かびもする。但し、これまでの彼らを知っていなくても、先入観を抜きに対峙すれば、バンドというよりも"楽団"的ともいえる雰囲気がカリプソをベースにオーディエンスにダンスを訴求する、そんな愉しさが真っ先に伝わってくること自体が大切だとも感じる。カリプソという音楽が歴史に埋もれず、現代になお、受継される理由の一端も見える作品だと思う。



(松浦達)

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