DAFT PUNK『Random Access Memories』(Columbia / Sony)

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Daft Punk『Random Access Memories』.jpg

 「世代と言葉の壁を超えて人々の心に直接訴えかけるのは、音楽とアニメに共通する素晴らしい魅力だ」

(2ndアルバム『Discovery』のライナーノーツより引用)


 この言葉は、ダフト・パンクの大ヒット曲「One More Time」のMVを制作するにあたって、彼ら自身が残したものである。人によっては青臭さを感じるであろう、言ってしまえば、子供心を持った夢見がちな大人の言葉。だが彼らはこれまで、その夢で見たことを次々と実現させ、それを可能にする先見性と行動力があった。


 それがもっとも明確に表れているのは、2001年にリリースしたアルバム『Discovery』だろう。このアルバムは、トッド・エドワーズや先日他界したロマンソニーことアンソニー・ムーア、さらには松本零士などを巻きこみ、ハウス、ディスコ、メタル、AOR、ファンクを大胆に溶解させた、さながらポップ・ミュージックの一大絵巻といった様相を呈していた。


 驚くべきは、『Discovery』はリリース後も進化する作品であったということ。リリース当時もかなり話題になったが、『Discovery』にまつわる重要なコンセプトのひとつに、"Daft Club"というのがあった。"Daft Club"とは、リスナーのメール・アドレスと名前、そして『Discovery』に同封された"Daft Card"なるものに書かれた16桁の番号を"Daft Club"のサイトにアクセスし入力することで入れる、いわばインターネット上の遊び場みたいなもの。その遊び場では、ダフト・パンクの未発表曲といったコンテンツに触れることができ、今でいうフェイスブック的性質を持つコンセプトであった(そういえば『Discovery』には、「Face To Face」なんて曲も収められている)。


 その"Daft Club"が生まれた当時は、音楽データの圧縮技術が大きな注目を集めだし、ある程度未来を予見できる者からすれば、音楽の在り方が変化することで生じる問題を憂う状況にあったと、当時13歳だった筆者の記憶には残っている。とはいえ、そうした状況にあっても筆者は、ダフト・パンクの壮大な実験に心を躍らせていた。文字通り、「Why don't you play the game?(ゲームに参加しない?)」(※1)とダフト・パンクに誘われ、まんまと参加したわけだ。実際、インターネットの可能性を提示してみせた"Daft Club"には、とてもわくわくさせられた。


 一方で、その実験精神をプリミティヴに爆発させた2005年の『Human After All』は、不評で塗れるアルバムとなってしまった。今でこそ、ニュー・エレクトロの隆盛を先取った作品として評価されているが、リリース当初は酷評のほうが多かった。確かに、約8週間という短い期間で制作されたがゆえのパンキッシュなワン・アイディア勝負の作風と、「The Brainwasher」「Technologic」「Television Rules The Nation」に顕著な社会批評的側面は、『Discovery』からの流れをふまえればあまりに唐突過ぎたかもしれない。しかし、彼らがあそこまで反骨精神をあらわにするのは珍しいし、だからこそ『Human After All』を愛聴していたのだけど・・・どうやら世間様は違ったみたい。


 何はともあれダフト・パンクは、自身の実験精神と好奇心に従いながら活動してきた。ライヴ・アルバム『Alive 2007』に結実するツアーや、映画『Tron : Legacy』の音楽を担当したときも同様だ。その結果、彼らは常に何かしらの新たな視点や価値観を提供してくれる、いわば開拓者としての側面が色濃くなっていった。


 そんな彼らが完成させた、『Human After All』以来約8年ぶりとなる本作『Random Access Memories』は、その開拓者としての側面は影を潜めている。もちろん、ほとんどの曲で生演奏が大々的に導入されたのは、彼らにとっては新たな試みだ。ファレル・ウィリアムズ、アニマル・コレクティヴのパンダ・ベア、ザ・ストロークスのジュリアン・カサブランカスといった現代のスターたちを揃えながら、ジョルジオ・モロダーとナイル・ロジャースというリヴィング・レジェンドも招きいれる大胆さは、挑戦的と言っていい。


 だが、肝心のサウンドはというと、これまでの彼らが生みだしてきた作品群と比較すれば、自身の音楽的嗜好に忠実なサウンドである。ジョルジオ・モロダーが参加した「Giorgio By Moroder」におけるプログレッシヴ・ロックな展開など、実験的試みもいくつか散見されるが、基本的にはオーセンティックなディスコが全編に渡ってフィーチャーされ、そこに彼らが共に愛聴する70年代ソウルやモータウン・ミュージックを随所に挟みこむような形だ。


 先行シングルの「Get Lucky」がそうだったように、奇を衒うトリッキーなエフェクト使いやイコライジングは少なくなり、親しみやすいメロディーと生演奏によるオーガニックな響きが強調されているのも特徴的。言ってしまえば、本作における彼らはまっすぐなポップ・ソングを作ることに腐心している。しかもそれは、"良い曲は揃っているが派手さはない佳作"と言われかねない作品を生みだしてしまうリスクを孕む姿勢だ。事実、本作には『Homework』の初期衝動も、『Discovery』の華やかさも、『Human After All』の鋭利なインパクトも存在しない。


 とはいえ、その内容だけを見て本作の評価を決めてしまうのは、あまりにも拙速ではないだろうか? 本作のもっとも重要な点は、ロボットになってまで、テクノロジーの発展とシンクロする形で自身の頭の中にあるヴィジョンを現実化してきた彼らが、初めて開拓意識を脇に追いやり、時代の空気に沿うコンセプトを掲げているということだ。


 アルバム・タイトルの『Random Access Memories』、これはコンピューターに使われるメモリの一種"RAM(Random Access Memory)"の複数形だが、このタイトルは、そのRAMの機能と類似するかのように、ネットを通してさまざまな時代/文化にアクセスでき、そこから知識やデータを得られる現在を分かりやすく示唆している。これだけでも容易に示唆を感じとれるが、"世代的に幅広い参加アーティスト群"というトピックを付けくわえることで、彼らはその示唆をことさら誇示しているようにも見える。


 だとすれば、本作を作りあげるうえで彼らが至った心情も、なんとなく想像できる。おそらく彼らは、音楽の在り方が変化している"今"の大部分を肯定している。もっと言えば、その"今"こそが、KISSのポスター、地球儀、ラジオに囲まれた部屋(そう、『Homework』の中ジャケットで見られるあの部屋だ)で見ていた風景なのだ。しかし同時に、その風景が具現化しつつある現実を見て、一種の哀しみ、戸惑いを抱いているようにも感じる。


 これまでの彼らは、ソニー・エリクソンのCMに「hello」と登場し、iPod/iTunesのCMでは「Technologic」が使用されるなど、テクノロジーの発展と拡大に多少なりとも寄与してきた。だがその結果彼らは、自分たちの"感情"をすり減らしてきたのではないか? あくまで自身の音楽的ルーツと嗜好に従う本作を聴いているとそう思えるし、だからこそ、本作における"ダフト・パンクとテクノロジー"という関係が、現実世界の"人間とテクノロジー"を表すメタファーとして浮かびあがってくる。


 テクノロジーの発展により、日常を過ごすうえでの利便性は向上し、コミュニケーションも容易くなったのは間違いない。例えば、クラブやライヴハウスでツイッターのタイムラインと向きあいながら音楽を楽しむ光景は、もはや当たりまえであり、そのことで新たな繋がりが生まれ、コミュニケーションの幅も広がったのは事実である。


 だがそんな状況を彼らは、素直に楽しむことができないのだろう。本作が従来のホーム・スタジオではなく、いくつかの本格的なレコーディング・スタジオを使用して制作されたこと、それから「Get Lucky」の歌詞で描かれた、生身の人間同士がパーティーで出会い惹かれあう様子などから察するに、彼らは現代には"肉体性"が足りないと考え、その"肉体性"を本作に収められた音楽で取りもどそうとしているのかもしれない。だからこそ彼らは、オープニングに「Give Life Back To Music」を選び、この曲に哀愁混じりのノスタルジーをヴォコーダー・ヴォイスと共に仮託した。


 正直、今の時代に生まれて心の底から良かったと思える筆者からすれば、彼らのノスタルジーはいささか頑固に見えてしまうが、ロボットになってから初めて窺わせる彼らの人間臭さは、そんな筆者を惹きつけるのに十分な説得力がある。


 ダフト・パンクを名乗る2体のロボットは、抗えない喪失の哀しみを思いだすよう促している。



(近藤真弥)



※1 : 『Discovery』に収録された「Digital Love」の歌詞より引用。

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