BIBIO『Silver Wilkinson』(Warp / Beat)

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 文化人類学の用語に、ハイコンテクスト/ローコンテクストという二分律がある。前者は、社会的に何らかのコンテクストがシェアされることで、文化や意味が発現する「間合い」、「空気感」とでも言おうか。


 別に、"平和"と言わなくても、平和概念が遍く共有されている場合のコンテクストは上位設定されているのも道理で、後者になってくると、前提たるものを言語化して確認し合うのみならず、暗黙が暗黙でなくなる。たとえば、エルヴィス・プレスリーがロックンロールを舞台でスイングしてみせた時代、それは良識・保守層からはローコンテクストだと見なされた訳だが、今、彼がおくった悲愴な人生と若者の自由への一つの附箋と引き換えた条件性を悪く言えるのかどうか、となると、ハイ・アンド・ローの間を通す翻訳能力の多寡で決められるような気がする。


 ビビオことスティーヴン・ウィルキンソンが、前作『Mind Bokeh』において従来の手法よりはローコンテクストに寄ったのは、タイトルにも入っている"ぼかし"という概念導入により、IDMやフレンチ・エレクトロ、フォークトロニカ、果てはチルウェイヴの断片までをもオーガニックに編み込みつつ、どこか今そのものへの退行も見えたからかもしれない。


 その点、新作『Silver Wilkinson』について、「春から夏という感じがする」と彼自身が述べているが、春が穏やかな始まりと終わりが混濁した躁性と華やかな侘び寂びを帯びる季節のひとつとしたら、『Silver Wilkinson』はイギリスの夏のひととき、眩さ、高い太陽、湿り気と夕暮れの仄暗さに、ふいに雨が嵐のように降ったり、雲間から光が差す、そんな都度のフィーリングが個人的に脳裏をかすめた。


 また、今作がユース・ラグーンことトレヴァー・パワーズが新作で披露した音風景との近似性を見せるのは、異常気象が続く世界でなくなりつつあるともいえる季節感を意識するために、テーマに囚われず、夢、無意識に潜ること、つまり、パーソナルな内奥に還り、それが反転しての架空の季節を炙り出せしめるしかない、そんなところも散見できるからだ。


 冒頭から滋味深くも、サンプラー、キーボード、シンセ、エレピやギターを組み合わせ、ときに彼の声や感性そのものを機械的に二次加工していきながら、漣のように寄せては返す独特の音時間が作られ、ふと、消失する。だから、聴き始めてゆくと、穏やかで有機的に凝った曲の構成に引っ掛かるよりも、微睡みを誘うような派手さがない中に混ざり合う音同士の繊細な重ね合わせに意識が漂流してしまうのかもしれない。そこでは、ニューエイジからアンビエントの気配を感じることもできる。


 余談だが、昨今、ブライアン・イーノが音楽治療に乗り出したという報があり、医師との共同作業の上、英国の病院で音の効果と治癒効果をはかる2つの部屋を作った。「音楽治療」となると、言葉の響き的に大層だが、音楽は不眠や不安、ときに日常の忙しさの中で思わぬ鎮静作用や意識への融和作用をもたらすのは感覚として咀嚼できるかもしれない。病院の待合室で流すアルバムとしてビル・エヴァンス『Waltz for Debby』の人気が高いという話も分からないでもなく、ハイコンテクストをローコンテクストに無言語的に置換する何かのひとつに、音楽はときにある。


 冒頭にならい、ハイコンテクストには、空気や太陽の粒、雨、風のそよぎまで、どこかの国で誰もが感じるものも含まれているとしたならば、いつの間にか、大気汚染や嵐、塵に混じったそれらに、マスクや警戒の気持ちで構えないといけないという時世における今作は、コンピューターを用いながらも、淡やかな自然を筆致する。音は、人間が名づけずとも、その前にもずっとそこにあり、体系、略式化されるものではないように。そういう面からしても、12弦ギターの響きが美しい佳曲「À tout à l'heure」について、家に籠っているのがもったいないほどの天気で思わず、いくつかの機材とともに庭に出たという彼のコメントも興味深い。


 多くのサウンド・レイヤーを適度な曲尺でカットし、半ばシームレス的に結びつけてゆくのが7曲目の「You」で、それまでと違って硬質なビートが刻まれ、コモドアーズのバラードをカットアップし、サンプリングして作ったというとおり、毛色が少し違う展開が入る。5、6年前の曲とのことだから、このアルバムの中でもニュアンスはやや齟齬がありそうなものの、アルバムの構成を断つということもない。


 新作が近いボーズ・オブ・カナダをはじめ、ローン、ヘリオス、ausなど多様な因子を感じる音ながら、ビビオの場合は、もっとガジェット的にエクレクティックにヒップホップとIDMの接点の昇華が得意な印象もあったが、ここでは日本の俳句の発想に得たという無限に拡がりかねないイメージにあえての制限を置き、ソルマージュ的に、既に鳴り得るだろう音の抽象性と非を保ち、季節や自然の移ろい、花鳥風月、それらに揺れる機微に音楽で名称づけていこうとする具象的行為が見事に結実している。


 音風景から浮かぶ情景は、色彩豊かに眼前ににじみ、聴き手の自由な想像をかき立てる。



(松浦達)

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