AOKI takamasa『RV8』(Raster-Noton / p*dis / impartment)

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 『RV8』と略されているものの、"Rhythm-Variations"の8パターンを収めた作品といえば如何にもだが、彼は2009年に《Raster-Noton》から「Rn-Rhythm-Variations」を出している。そこでは、リズムとグルーヴの多要素性を詰めようとする意欲があったが、今回のアルバムで個人的に想起したのは、例えばリッチー・ホウティンの『DE9』のような、リズムが静かに位相を揺らし、グルーヴを生み、電子音だけだと単調に思えてしまう内的な音風景がじわじわと変わってゆく心地良さだった。


 安易にフロア・コンシャスというにはヘッド・ミュージックというところもあり、ただ、ヘッド・ミュージックとしてはビートの微積分的な刻みは鼓動を打ち抜き、簡潔で素っ気ないイメージもある。なおかつ、マスタリングが砂原良徳ということで、粒だった電子音のひとつひとつが"音としての政治性"さえ孕む。ミックスCD的ながらも、ミニマリズムとテクノイズを縫合する様は耳に、そして、身体性に響く。


 AOKI takamasaは今や、日本を越えて世界中で高く評価されている。高木正勝とのユニットSILICOMや、作曲者としての多彩さ、ライヴ・パフォーマンス、坂本龍一からサカナクションのリミックスまでをも手掛け、彼そのものの記名性を軽やかに刻印するなど、何処かで彼の名前を見たことがある人もいるだろうと察する。


 オリジナル・マテリアルとしては『Private Party』から4年以上、リミックス集の『Fractalized』からも3年ほどの歳月が流れているが、ただ、レコード・ショップでもIDM、現代音楽、アヴァン・ポップ、ときにポスト・クラシカルの棚に彼の名前はずっと見受けられ、国外問わず各地でのライヴ、DJ活動も盛んだったからだろうか、不在感は感じないものの、"待望の"という冠詞は相応しいと思う。


 世界水準の才人としてのポジションを保持しながら、04年のパリ、08年のベルリン移住、2011年には帰国し、大阪をベースに日本というフィールドに対象化の視点を00年代において貫きながらも、安易なグローバリズムや、昨今の"グローカル"とは安直に与しない姿勢と、写真家としてのアクティヴな側面は言語や文化を越境し、原基としてのマルチチュードを体現しているかのようでもあった。


 こうして書いてゆくと、ストイックで気難しそうな藝術家体質のイメージを受けるかもしれないが、ライヴやDJの現場にいたことがある方ならば、フレンドリーで開かれた雰囲気を感じた、そんな印象をより強化せしめるかもしれない。


 日本のインタビューにおける気さくな大阪弁もそうだが、彼本人のマルチカルチャリスティックで既定の柵から自由なさまは、軸は大阪という、カウンター・カルチャーが根差しやすくも、併せ、それぞれのユニティを作りやすい場所での暗黙の横断知を弁えている気がする。例えば、シンガポールやパリなどの都市での人種のメルティング・ポットの中心部で沸き立つ生命力や熱気、エントロピーを感じられるように、大阪という都市も、アンダーグラウンド・シーンの充実もそうだが、総体エネルギー量と怜悧な批評眼と、独特の気概が程よく張りつめているところがある。


 さて、『RV8』が抜けの良さを感じさせるのは、海外に住んでの日本のフロア、クラブにおけるルールの堅牢さと、礼儀正しさをしっかり見据えているからこその自由を提示しようとしているからだと思う。近年の風営法、公権力の規制の問題も含め、日本におけるクラブ・シーンはよりカジュアルになっているのか、といえばそうではない事例もあり、ゆえに、その分だけ、「一瞬」をシェアできる刹那的な昂揚や現場主義の礼讃の向きもある。


 彼はヴァーチャルではなく、その一夜の解放感を『Private Party』のときよりも音そのもので示そうとしている。刹那に、鳴っている音で踊る楽しさ、その楽しさが生み出すつながり。


 ネット越しのコミュニケ―ションや交流もいいものの、名も知れぬ/知らぬ者同士がダイレクトにひとつの場で、身体知や息吹を交わし、リズムに各自が体を揺らせ、ビートに躍動し、グルーヴに飲み込まれる、そんなひと時に添い、柔らかに酔わせるべく、本作は8つだけのパターンに決して限らずに、凝り固まった決まりごとだらけの空間を自在に音で解きほぐす気がする。そこには、畏まった共底言語はおそらく、要らないとも思う。



(松浦達)

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