VARIOUS ARTISTS『InFine By JMJ』(InFine)

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 ジャン・ミッシェル・ジャールといえば、真っ先に1976年の『Oxygen』を想い出し、記憶を反芻する方も居るかもしれない。組曲形式にアナログ・シンセがスムースにかつトリッピーに聴取者のイメージを広げてゆく、今聴いても色褪せない作品。今や、ワールドワイドにフランスを越え、活躍し、ヴァンゲリスとも比肩するアーティストだが、ジャンの方がやや荘厳さやもったいぶったところが稀薄なのはあるかもしれず、「反復」がベースになり、フレーズが淡やかに変わる、その差異にふと魅せられるところを個人的に感じる。なお、このアルバムの邦題は『幻想惑星』だったのも意趣深い。


 そもそも、彼の父は周知のとおり、モールス・ジャール。『アラビアのロレンス』、『ドクトル・ジバゴ』を始め、ルキノ・ヴィスコンティの『地獄に堕ちた勇者ども』、日本の伴野朗の『落陽』まで幅の広さのみならず、多くの映画音楽を手掛け、音楽監督をしてきた巨匠だが、その父の影響を受けながらも、現代音楽そのものへの再考と試行、そして、その轍を確かに残してきた。


 また、ミュージック・コンクレートの始祖ピエール・シェフェールへの師事も大きかったといえるだろう。"ソルフェージュ"として、音程、リズム、和音などにおける楽典を援用した上での和声学、対位法などへの意識と、現代音楽/電子音楽の分岐で抽象性を帯びてしまいがちな概念に芸術、アートを編み入れ、それをあくまで実験工房内に籠もらず、巷間に届けた姿勢はやはり偉業であり、異形のアーティストと言えるかもしれない。


 100万人をも動員するライヴを行ない、W杯や世界的なイヴェントには欠かせず、作品は都度、リヴァイヴァル、再評価を得るなど、いまだ新しいファンも絶えない。


 そんな彼が64歳にして、《InFine》のカタログから12曲をセレクトするという意欲的な作品がこの『InFiné By JMJ』になる。


 《InFine》といえば、元・レーベル運営者のアゴリアをはじめ、アパラット、クラシック・ピアニストのフランチェスコ・トリスターノ、その彼も参加するアウフガングなど多岐に渡るアーティストが所属し、特殊なカラーを持つことで有名だが、フランスのリヨンをルーツにするアーティストも多く、ジャン自身もレーベルそのものへの想いに併せ、リヨンという場所における共振もあったという。


 簡単に、目立った曲を触れてゆくに、2曲目のマルコフ「Como Quisiera Decirte」。メキシカンのフェルナンド・コロナによるマルコフはキャリアも既に長く、相応に評価を受けているが、この曲ではミニマルなビート、タンゴ調のリズムの上に鼻にかかった彼の歌声が映える佳曲。ジャンは取材において、彼のラテンの要素と前衛的でアブストラクトな部分をうまく折衷したところに好意を示している。


 4曲目のアウフガングはニュー・アルバムも4月にEUではリリースされたが、トリスターノとラーミ・ハリーフェのツイン・ピアノ、ドラムなどを担当するエイメリック・ヴィストリヒという幼馴染み、同級生で結成され、フェスやイヴェントでのパフォーマンスの評判も高いトリオだが、この「Soner」はツイン・ピアノの旋律が美しく絡むテック・ハウスであり、クラシック。9曲目のアゴリア「Under The River」は2分半ほどのアンビエント色の強い曲である。


 本作では唯一、二曲選ばれているのがロヌ。ロヌとは、エルワン・カステックスによるプロジェクト名であり、マッシヴ・アタックなどからも注目される気鋭。トライバルなミニマル・テクノ「Tasty City」、スペーシーなIDM「Parade」で彼の振り幅の一端を伺える。


 この12曲を通して、それぞれのアーティストの個性も見えてくるが、ジャン自身の感性のアンテナの向こうとしている先がぼんやりと聴こえてくるようなのが、興味深い。それは、ゾンビー、エール、ファック・ボタンズ、ジャスティスなど、現代のアーティストたちの音に感銘を受ける、というエピソードからしても、エレクトロニック・ミュージックそのものへの貪欲な意志は衰えていないことがわかる。


 この『InFine by JMJ』でも、鋭利な知性と視線が通底しているように感じる。



(松浦達)

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