AUFGANG『Istiklaliya』(InFine)

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AUFGANG.jpgのサムネール画像

 おそらく、多くの人に待望されていた一枚だとも思う。先ごろの来日公演も記憶に新しい、ピアニストのフランチェスコ・トリスターノ、00年に彼とNYのジュリアード音楽院時代に出会ったラーミ・ハリーフェ。ラーミ・ハリーフェといえば、レバノンの作曲家にしてウード奏者の父、マルセル・ハリーフェとの活動としても有名だが、ピアニストとしての評価も近年、高まっている気鋭の一人。そのラーミの幼馴染みが、フレンチ・エレクトロを代表するユニットたるカシアスに属し、ときにフェニックスでドラムも負うエイメリック・ヴェストリヒ。この三人による2ピアノ、1ドラム形式を取りながら、エレクトロニクスも含め、ダンサブルで肌理細やかなグルーヴを生み出すグループがアウフガングである。05年のバルセロナのソナー・フェスティバルを機に作られたというから、キャリアも8年ほどになる。


 セッション的には三者三様、設計技師のような緻密な感性も溶け込み、まだ固まりきっていない部分があったものの、この『Istiklaliya』は、そういった欠落を十二分に埋め合わせた快作となっている。ブラント・バラウワー・フリックのようなディープ・ミニマル的なトランスをもたらす曲もあれば、ジャズとテクノのクロスオーヴァーに果敢に挑んでいた初期のジャザノヴァのEPに通じる温度から、どことなく、アシッド・ジャズ的なノスタルジーを感じる人もいるかもしれない。


 電子音そのものがオーガニックで粒だっていなく、そこに流麗なピアノの音色が重ねられることで、しなやかに音空間が拡張される。これが《InFine》からリリースされていることも興味深い。思えば、独ミュンヘンの《Compost》がシリーズ・コンピレーション『Future Sound Of Jazz』をリリースしていたとき、当時のオーナーたるマイケル・レインボースは、その際の"ジャズ"とは既存のジャズのスタイルそのものを負っているのとは違い、それはあくまで、ジャズが輝かしかった60、70年代に奮闘していたミュージシャンの気高い精神性を意味すると言っていたが、トリスターノ自身もクラフトワーク、ジャン・ミシェル・ジャールの影響を受け、また、カール・クレイグと組んだ作品を出すなど、テクノ・ミュージックへの薫陶とカヴァー・センスはテクノ界隈でも認められている。それでいながら、ドイツの《Grammophon》という由緒正しい老舗のレーベルから、ブクステフーデ、バッハをヤマハCFXで再解釈した作品を出すという、まさに既存のスタイルを負うのではなく、温故知新、気高い精神性のもとで、歩みを進めている。


 今作は、9曲とゴースト・トラック「Overture」を入れて、55分ほどの自在な音絵巻が繰り広げられる。冒頭の「Kyrie」は、アンダーワールドの02年の『A Hundred Days Off』あたりを彷彿させる柔らかさとバウンシーなムードがフロアやライヴで映えることを既に確約しているとも思える佳曲。ツイン・ピアノがビートを刻むように熱を帯びてゆく次曲の「Balkanik」では、エフェクトの効果もあり、6分弱とは思わせない鮮やかなグルーヴが宿っている。無論、IDM的側面が強い「Abusement Ride」のような曲もあるが、そこでは朗々とヴォーカリゼーションも披露され、どこかデモーニッシュで不穏なままにリプレゼントされる。


 サイケデリックでトリッピーなムードが本作に通底するのも、ひとつの要因に挙げられるかもしれない。表面上はテクニカルに、スムースに組み立てられているように聴こえるが、「内実」では、奇妙な前衛的な実験と試行が何度もおこなわれている気配が残る。これまでの彼らは、それがライヴ以外の録音物では収まっていない感じもしていたが、断片的ながらも、確実に皮膚感覚に突き刺さる。


 現代音楽的なセンス下のケージ、ライヒから、ザッパが持つドロドロと煮込まれたアヴァンギャルド性、そこに、昨今のモダン・クラシカルの趨勢を織り込み、偶然と抽象性をアート的に高めたという感覚との共振。また、タイトル名も「African Geisha」や「Diego Maradona」など、野放図なところもあるが、その曲名から浮かぶ中での音楽を想像して聴くと、そうとも捉えられない。


 雪崩れるように、獰猛に音や構成が内破されてゆく8曲目の「Stroke」などは、否応なく昂揚する音そのものの快楽性も高い。奇妙なリズム展開、80年代前半のエレクトロ要素さえ感じるガラージ・サウンド、ここまで挙げてきたように、多くの音楽遺産の語彙群からのインスパイアも感じられるがゆえに、散漫なイメージを持つかもしれない。ただ、何も先入観を持たずに対峙すれば、多彩なイメージが輻射される。それでいいと思う。プログレッシヴに求心性を増した今作からアウフガングは真っ当に傍流を往けるのだという気がするからだ。まさしく、今そのものの時間論を越えるダイナミクスが詰まっている今作に喝采を送りたい。



(松浦達)

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