YOUTH LAGOON『Wondrous Bughouse』(Fat Possum / Hostess)

|
YOUTH LAGOON.jpg

 いわゆる、チルウェイヴに属していたといえるアーティストのネクスト・フェイズが興味深いことになっている。メモリー・テープス、トロ・イ・モアを筆頭に、それはライが示すようなスウィート・ソウル・ミュージックへの近似をときに示すように、一概にヒプナゴジカルでノスタルジックな「何か」ではなくなってきている。


 チルウェイヴ自体がネットを媒介にしたか細い糸のようなベッドルーム・ミュージックをフロアー、もしくはリスナーのヘッドホンに連結したようなところがあっただけに、創作性としてはよりそれぞれが分岐してゆくのだろうとも察するが、今や、多方面に音楽の好奇心を伸ばすベックも当初はベッドルームから音を綴り、今や死語かもしれない、ジェネレーションXのスラッカーズ・アンセムたる「Loser」を産んだ。


 補足するに、ジェネレーションXとは、アメリカのケネディ政権からベトナム戦争時代に生まれた"失われた世代"と一部では言われもするが、今や国、時代背景は違えども、ロスジェネ、いわゆる、日本でも格差や貧困問題に対峙しなければならない若年層のヴォリュームは看過出来ないところまで来ている。その世代はバブルも知らなければ、あったはずの富裕たる日本/舶来のカルチャーに忘失と無関心も包含されているところもあるが、ネットや映像などを通じるなど、メディア・リテラシー能力は凄まじく高い。ただ、そのリテラシー能力とは現実を捌くスキルと近似するか、といえば、精緻には違う気もする。現実を担保に置いた上でよりベッドルームへ還る、そのベッドルームから発信される無限の自己表現が対象化されているともいえるからかもしれない。


 ユース・ラグーンは当初からチルウェイヴの括りというよりも、個の実存不安がそのまま吐露され、音楽にかろうじて接続される危うさが魅力的でもあり、トレバー・パワーズという一青年の混沌と繊細さが青白い血管のように浮き出ていた。ゆえに、好き嫌いはわかれたが、彼にとっては「作品を出す行為」そのものが浄化であり、報われる何かであったのではないかという気さえする。


 1年半振りとなり、プロデューサーに敏腕のベン・アレンを迎えたセカンド・アルバム『Wondrous Bughouse』でもより揺らぎが増し、聴いていると、前後不覚になるような際どさと微睡みが拓かれずにカット・アップされながら届けられる、そんなところがある。ヴァルネラヴィリティー(攻撃誘発性、内的脆弱性)はアーティスト、表現者にとっては強みだが、ユース・ラグーンの場合は脳内サイケ・トリップのように、夢絵巻的な音像が極められてもいる。


 当初からのリヴァーヴ、残響、不思議な質感は保持されたまま、よりサイケデリックにシンセ、グロッケン、チープなエレクトロニクス要素が絡み、世界のどこかの国に元々、あった童謡のようなメロディーの鮮度は高まった。そこに、あの折れそうな声で「生」(死ではない何か)の周縁を歌う。歌う、というよりも、現代らしく、呟く(Tweet)的なところもある。


 昨今、チルウェイヴとモダン・クラシカル、アンビエント・ミュージックの境目が曖昧になってきているとさえ個人的に思えるのだが、この作品を聴いていると、その境目の無化を如実に感じる。つまり、アンビエント・ミュージックとして、モダン・クラシカル、または、ドローンとしても受容できる細部があり、その「細部」が当初より顕微鏡で覗き込み、拡大した印象も散見できる。


 例えば、2曲目の「Mute」での揺蕩いながらも、着地点を探さない宙空で振れる浮遊感。6曲目の「Dropla」では昨今の"テープ・ミュージック"の隆盛とのリンクも感じ、8曲目の「Third Dystopia」ではタイトル、歌詞内容と反比例してメロディー・メイカー、アレンジメントの妙の洗練を確かにうかがわせる。そして、5分以上の曲が増えたことにより、前作で多少は物足りなかったメロウネスは爛熟しながらも、行間に美しさが込められている節があり、深遠に精神の内側に潜航し、それが逆説的に外へと反転する手前まで来ている。


 「手前」というのは、歌詞そのままから受容するイメージ、またはこのアルバム・タイトル名の"Bughouse"というのはアメリカのスラングで、「精神病院」を指し、そこに"Wondrous"という「実に素晴らしい」言葉が結ばれている狭間にある訳で、冬眠の時代(Year Of Hibernation)を過ぎて、出た外がそういったところではやはり物悲しさも覚えてしまうからだ。


 彼は外に出たが、まだ、何処かの中に居る、その際どさで揺れる一人の青年のドキュメンタリー作品として受け止めるだけの許容は巷間に用意されているのか、その不安も残る。過渡期なのか、折れそうな今を刻印した作品なのか、聴き手側の判断が気になる。



(松浦達)


retweet