MY BLOODY VALENTINE『m b v』(mbv)

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 2008年には、オリジナル・メンバーでのフジロック出演という"復活"を印象づけるサプライズはあったけれども、肝心の新作リリースに関しては、いまいち曖昧なまま。そして、何度か「ついに!」と思わせては消える過去2作のリマスターに取りかかっているというウワサ。それからまた4年も待たされて、昨年5月に『Isn't Anything』『Loveless』『ep's 1988 - 1991』のリマスター盤がリリースされた。当然、オリジナルとは比べものにならないほどの音質。それは、20年以上も続いた不在の歳月で降り積もった"伝説"や「もう継続的な再始動はないのかな...」という"諦観"という名の分厚い雪をとかすには充分な熱量を放っていた。リマスター盤を聴いた僕の心にノスタルジアはなく、想像をはるかに超えてクリアになった音像をひたすら耳で追いかけた。幾層にも織り重なるギター・サウンドのレイヤーには、聴くたびに新たな発見がある。1曲の中でも刻々と表情を変えるベースとドラムの雄弁さに気付く。そして、"儚い"と形容するにはエロすぎるメロディー。そのどれもが、シンプルに"今の自分を楽しませてくれる"という意味でリアルだった。そんなふうに僕は3枚のアルバムを聴いた。そう、大好きなバンドのニュー・アルバムに興奮するように。


 そして今年の2月8日、新木場スタジオコースト。数日前には、22年ぶりとなるこの新作『m b v』が彼らの公式サイトからCD/LP/ダウンロードという3つのフォーマットの組み合わせでリリースされたばかり。すべてのタイミングがかっちり噛み合った今がその時。リマスター盤に刻み込まれたサウンドこそケヴィン・シールズ自身が求め続けてきたものだとしたら、それが2013年の今、どう鳴らされるのだろう? 待望の新作からは何曲がプレイされるのだろう? "再結成"バンドのライヴを見物、というお気軽さはこれっぽっちもないのが自分でもびっくりだ。ちぎり取られたチケットの半券といっしょに赤紫色の耳栓を受け取る。そう言えばマイブラは、やたらと"轟音"だとか"爆音"だなんて言葉で語られることが多いけれど、僕はそう感じたことはない。むしろ、アタックから残響まで、サウンドの隅々に意識を張り巡らせる繊細さと、時には猛り狂うガレージ・バンド然としたアンサンブルとのバランスこそが魅力だと思っている。リマスター盤(特に『Isn't Anything』)を聴いて、その思いを深めた。今回のツアーが始まった時から「You Made Me Realise」の15分を超える"ノイズ・ビット"のウワサは耳にしていたけれど、本当に耳栓を配るなんてね!


 開演予定時刻から30分ぐらい遅れて、新木場スタジオコーストのステージにケヴィン、ビリンダ、デビー、コルムが現れた。僕はフロアの中央あたりで、ポケットの中の耳栓を握りしめて身構える。やっぱり、この4人だからこそのマイ・ブラッディー・ヴァレンタインなんだな、と胸を高鳴らせながら。やがて、あの印象的なシンセのループが鳴り響き、鮮やかなストロボとシンクロする一音一音に会場全体が飲み込まれる。僕にとって1991年以来となるマイブラのライヴは「I Only Said」で幕を開けた。全身をバネのように躍動させるデビー、ヘヴィメタル・ドラマーのようにありったけの力を込めて叩きまくるコルム。想像以上にワイルドで、エネルギーに満ちあふれた2人に釘付けだ。ケヴィンのナーヴァスな表情はサウンドに集中しているからかな? ビリンダは相変わらず妖艶なオーラに包まれている。壁と天井への反響も計算されたかのようなフィードバック・ノイズがぐるぐると宙を舞い、重量感たっぷりの低音がフロアを揺さぶる。そして、その2つが渾然一体となった瞬間、空気そのものが振動するのを感じた。「鼓膜、意外と大丈夫!」って思っていたけれど...、やっぱりラストの「You Made Me Realise」で耳栓を装着してみた。


 今まで、色んなバンドのライヴに何百回と足を運んでいるけれど、演奏中にどんどん音がでかくなっていくなんて初めて。「マイブラだからねぇ」って片付けられない事実だと思う。ライヴでの"音の鳴り"は周知のとおり、会場や機材、メンバーのコンディション、PAのテクニックなど、様々な要因によって大きく左右される。通常の(常識的な)やり方なら最大公約数、つまり「今できるベスト=聴きやすい」音作りを目指すはず。その逆を選んだとしても、ただ単に大きくするだけなら、音は割れる。それがノイズ(雑音)になる。けれども、マイブラは違った。どんなにボリュームを上げても"割れない"音が鳴らされていた。大きな音を鳴らすのではなくて、音の"解像度"を上げるということ。バンド演奏という行為はアナログだけれども、その発想はデジタルだと思う。音の密度を人間の処理能力の限界まで引き上げる。音を"聴く"のではなくて、"感じる"ことができる領域まで。


 で、ようやくこの『m b v』のこと。すでに色々なところで「音が小さい」だとか「ミックスが粗い」だとか言われている。しかも、それがこのアルバムの"評価の分かれ目"みたいなニュアンスで。とんでもないことだと思う。マスタリングのテクニック云々、ケヴィンが一人で仕上げたから云々...。なんて貧弱な想像だろう。「これからマイブラを聴いてみようかな!」と思っている若い人たちや「久々に聴いてみるか!」と楽しみにしている往年のファンの耳を塞ぐような行為には辟易する。僕もこのアルバムを初めて耳にした時には、籠っているように聴こえる低音が気になった。ましてや、リマスター盤とあのライヴのあとではなおさらだ。でも、耳にひっかかるこの"何か"こそが、このアルバムの魅力であり、個性だと感じた。そこにケヴィン、そしてマイブラの意図があるのだと思う。


 ケヴィンがほぼひとりで作り上げた『Loveless』をついに4人でレコーディングできたかのような前半。そして、先日のライヴでこのアルバムから唯一プレイされたポップでかわいい「New You」をはさんで、後半の3曲では彼らの獰猛な一面が牙を剥く。チープなシンセと怒濤のガレージ・サウンドが猛り狂う「In Another Way」、ジャンクなリフ一発でひたすら押し切る「Nothing Is」、ラストの「Wonder 2」は地響きのようなドラムンベース! 何度も聴いてみて気づいたのは、このアルバムは"音量が均一"じゃないということ。アルバム丸ごと1枚、そして1曲の中でもサウンドが揺らいでいる。


"This album has been recorded as an analogue album. It was recorded on 2 inch 24 track analogue tape and mixed onto half inch analogue tape and mastered with no digital processing involved."


 こんなふうに公式サイトの音源購入ページにわざわざ記載されていることからも、ケヴィンがアナログでのレコーディング/ミキシング/マスタリングにこだわり抜いて制作されたことがうかがえる。あえてデジタル・レコーディングを選ばなかった理由は、爆音で聴いてみたらわかるはず。ライヴと同じように音の"解像度"は変わらない。発想はデジタルだけれども、手法はアナログという逆説。すべてのロックンロールが無意識のうちにでも内包してしまう"グルーヴ=うねり"ではなくて、"揺らぎをコンロールする"というマイブラだけが辿り着いた境地。バンド名そのものがメッセージともいえるアルバム・タイトル。真っ赤な血が蒼く浮かび上がる静脈のようなアート・ワーク。明確な意志とぬくもりがある。音楽シーンというちっぽけな時代の流れとは無縁だけれど、リマスター盤とライヴでの試行錯誤を経た今だからこそ生み出された自由奔放なサウンド。僕は大傑作だと思う。



(犬飼一郎)



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