INC.『No World』(4AD / Hostess)

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 アンドリューとダニエルのエイジド兄弟(双子だそうです)によるインクは、冷徹に現実を見つめるリアリストなのだろうか? デビュー・アルバム『No World』を聴いていると、そう思えてならない。確かに、妖艶な耽美的ヴォーカルは聴き手を口説きにかかるような甘い香りを発している。しかし、そのヴォーカルを支えるビートが、そっけないくらいに乾いているのだ。


 曲そのものはよく出来ている。徹底的に音を削ぎ落としたミニマルなプロダクションだが、ベロシティーや音色といった細かいところにまで神経が行き届いており、ひとつひとつの音を丁寧に鳴らしているのがわかる。


 そんなウェルメイドな本作が醸しだすのは、孤独感である。この孤独感によって、聴き手は内面と向きあうことを促されるのだ。促されるまま内観を試みると、まあ、見たくもない側面を認識することになる。人が持つ醜悪とされている部分というか、強いて言うならそれは、聴き手自身の"エゴ"なのかもしれない。例えば、他者に対して向けられた排他的感情とか、人間関係におけるポジション・ゲームとか、日常を生きるうえで遭遇する理不尽としか思えない行為のほとんどは、自己利益を優先する"エゴ"がキッカケであることが多い。本作を聴いて見えてくるのは、そういう類いの"エゴ"である


 とはいえ、本作は"エゴ"を"悪"としているわけではない。むしろ、この世から"エゴ"をなくすことなどできないし、だからこそ、エゴを抱えながら生きていくというポジティヴな諦念が根底にある。少なくとも本作は、ここ最近よく見かける凡庸なドリーム・ポップとは違い、甘美な風景で聴き手を欺くような真似はしない。甘さのなかに厳しさや痛みを残しているし、その結果として、本作は甘さ、厳しさ、痛みが共立した歪なポップ・ミュージックとなっている。


 そうした歪さは、本作にスピリチュアルなフィーリングをもたらしている。だがそれは、肉体からの解放というより、肉体が内包する精神や魂といったものを深く掘りさげた結果だと思う。それゆえ本作は、人工美的サウンドスケープを描きながらも、生々しい響きを持っているし、その生々しさは写実主義的ですらある。そういった意味で本作は、現実と幻想が入り乱れるカオスなアルバムとも捉えられるし、スピリチュアルなフィーリングも、肉体的な束縛を感じさせる点では心解脱的である。


 筆者には、そんな作風が時代のムードと重なって見える。抜けださなければいけないサイクル、もしくは抜けだしたいサイクルがあるにも関わらず、そこから逃れられないという現実。価値観の多様化が進み、その価値観を誰もが発信者として主張できるようになったはずなのに、目の前の風景は変わらないという現実。こうした現代が抱えるジレンマを、本作はポップ・ミュージックという形で描写しているのかもしれない。



(近藤真弥)

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