YO LA TENGO『Fade』(Matador / Hostess)

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 ヨ・ラ・テンゴほど作品を重ね、キャリアが長くなるほどに再評価軸がぶれ、また、再定義されるバンドも興味深いと思う。1997年の『I Can Hear the Heart Beating As One』は〈Matador〉レーベルを代表し、90年代のUSインディーのマスターピースに数えあげられながらも、その後のフォロワーが増えてゆく様とフェス、映画音楽で見せる鮮やかな音響工作の妙は確実に、ネオ・サイケやシューゲイズの域を越えて、ザラついた音像の中でのロック/ポップスの再更新をおこなうという意味のエッジを歩き続けた。


 そして、今作においては、黄昏にストリングスの揺らぎが巻き付いた曲の美しさからジョン・マッケンタイアらしいミニマルなソフト・ロック的な意匠のものまで、幅広く、散漫さよりもタイトに締まった全容を示している。ジャンクなガレージ・ロックもジャジーで柔和なスイング・チューンに混ざる破片のような愛に近似したフィーリング。過去二作に沿い振り返れば、フリー・フォークとの共振にヴェルヴェッツの背徳の馨りがフィードバック・ノイズに掻き消される、そんな麗しさと故郷たるホーボーケンへ戻るまでの寄り道で、アメリカーナを巡回することもありえただろうに、そうではない舵取りも伺える。


 そもそも、ヨ・ラ・テンゴとは1984年、ニュージャージー州ホーボーケンにて結成され、既に30年近い経歴を持つオルタナティヴ・バンドであり、ジョージア・ハブレイ、アイラ・カプラン、ジェイムズ・マクニューの三人からなる。この『Fade』は前作以来、約3年強の歳月、つまり、2010年代に入ってからの世の激動の間で「沈黙」を経て実に13作目となるスタジオ・アルバムなのだが、決して時代を反映させる音楽ではなく、音楽から時代を解放させるかのような、しなやかな動態性と閃きが充溢している。いわば、大人の「ロック」たる懐の深さがあり、ジャケットの壮大な樹木の絵が示唆するように、後味の悪くないメロディアスなうねりを感じさせ、そこに自然の風や陽光を借り、彼らのときに奇妙に螺子の抜けたアンサンブルが空気の色彩を変える。


 過度なバイアスやこれまでのキャリアを鑑みての大言壮語も付加せずとも良いと思う、フラットに良いヨ・ラ・テンゴの新譜がこうして届いたというだけで、幸せなことかもしれない、と感じるからだ。90年代の彼ら、00年代の彼ら、今の彼らを知っているにしても、ここから視える景色は悪くないと思う。


 ヴェルヴェッツ、ソニック・ユース、ベック、シー・アンド・ケイク、フリート・フォクシーズまでの時代を跨ぐ「本案」、「正史」ではなかったかもしれない音楽の血脈をトレースして、透き通ったハミングのようなサウンドスケイプに、そして、あくまで軸はぶれないダウン・トゥ・アースな音の響き。長年の友人たるジョン・マッケンタイアが参加したことに派生しての音の粒の丸みが矯められた、バーバンク的なサウンドを彷彿とさせる室内楽的な「Before We Run」のような曲が映えているのはあるが、小声のパンク「Paddle Forward」、枯れたフォーキーな渋みが宿る「I'll Be Around」、加え、国内盤に入っているトッド・ラングレンのロウなカバー「I Saw The Light」に至るまで、彼らのか細く折れそうながらも、貫かれてきた自然体の姿勢は相変わらず際立っている。


 これまでどおり、演奏がとても素晴らしいとか、時代的に革新的なことをしているとかではない、音楽が持つ大らかさと自由を体現しているという文脈で、存外にこういう作品には出会うことは少なくなった瀬だけに、彼らの在り方はより貴重な意味を帯びてくるような気がする。


 ノスタルジックに凛然と、甘美な音楽の稔りを感じさせる一作になっていると思う。



(松浦達)

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