JIMANICA『Torso』(Weather / Headz)

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 作曲といえば、ギターやピアノで曲を作る場合が多いのだろうし、今ならば、コンピューターの場合も多いのだろう。しかし、ドラマーがドラミング感覚で作った曲がここにある。それは優美であり、上品でもあり、官能的ですらある。淡くスウィートなメロディーの反復によって、たちまち聴き手を引き込んで、一瞬たりとも休まず走る、ジマニカのサード・アルバムとなる本作『Torso』。この音楽からは不思議と土着的なものが感じられない。無論、それは良い悪いの問題ではなく、リズムとメロディーの関係性をあぶり出している。


 同じメロディーであってもリズムが変化することで、曲の雰囲気はガラリと変わってしまうという側面を射抜いた上での曲が全編貫かれ、ドラマーならではの曲調によって、多種多様のリズムが静謐な音響の中でたおやかに、自由に、泳いでいる。その上に乗るメロディーはミニマルではあるが、リズムの規則性を排することで表情は移り変わり、活き活きと躍動し、かつ、土着性が最も表れるリズムを操っているがゆえに無国籍性を生み出している。


 それはアクフェンの『My Way』を思わせるものなのだが、しかし、ゲスト・ヴォーカリストの歌声を弾けさせるというよりは、曲に溶け込ませるリズム感覚は異端。そこにおいてはd.v.dや、やくしまるえつことd.v.dとしての活動、ワールズ・エンド・ガールフレンドデデマウスでの活動によるところが大きいのだろう。しかも歌声を素材とし、音響にしてしまう。それ自体は珍しいことではないが、声だろうと電子音だろうと、メッセージ性を抜き取って、音が持つ自由度を解放しているから音としての純度が高い。


 salyu×salyuと比べるならば、同じく歌声を活かした音作りではあるけれど、ジマニカの場合、全ての音を並列に捉えたことで匿名性が生じている。麓健一が「音の美しさを求めるのならば、感情や、歌詞に意味を宿してはいけない」と語っていたのを覚えているが、ジマニカが求めている音楽とは、それに近いのではないか。そうして鳴る軽快なメロディーとリズムは分別されていない。いわば、音の一切が分別されていないから広がりがあり、透き通っている。青空のように広がる本作の匿名性のエレガンス。それは「Walking Behind」のMVにあるように、日常で静かにたゆたう。



(田中喬史)

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