きのこ帝国『eureka』(Daizawa Records / UK.Project)

| | トラックバック(0)
きのこ帝国『eureka』.jpg

 まず最初に告白しておくと、きのこ帝国にとって初の全国流通盤となった「渦になる」を初めて聴いたとき、お世辞にも愉快とは言えない感情を抱いてしまった。あれは一種の拒絶反応、例えば、今まで見たことがない存在に遭遇したときの気持ち悪さに近いものだったと思う。佐藤(VoG)の自意識過剰な言葉と、それを助長するシューゲイズ・サウンドとメロディーは、拭いきれない居心地の悪さを筆者に感じさせるものだった。


 しかし、それでもつい聴いてしまう、無視できない音楽をきのこ帝国が鳴らしているのもまた、事実なのだ。少なくとも、こうして聴き手の心を掻き乱し、本音を暴露させる以前の表現行為、何度触れてみても1ミリも興味を持てない粗雑な表現行為と比べれば、きのこ帝国の音楽はとても興味深く、惹きつけられるものだ。そう考えてしまうのは、触れると反射的に拒否反応を示してしまう表現にこそ新たな可能性があり、また、その反応自体を面白がる筆者の質ゆえなのかもしれないが...


 まあ、それはともかく、きのこ帝国の音楽が聴き手の心を根底から揺さぶり、すでに作りあげられた価値観に挑んでくるものであるのは確かだ。だからこそ、今では筆者にとってきのこ帝国は、"見逃したくない"と心の底から思わせるバンドのひとつとなっている。


 そして、そう思わせる所以の存在感を、『eureka』はまざまざと見せつけてくれる。従来のシューゲイズ・サウンドを引きつぎながらも、そのサウンドスケープは深みを増し、より多くの感情とそれにまつわる機微を多く含む作品となった。しかし、その結果として聴き手を蹂躙するような圧殺的アトモスフィアではなく、一種の心地良さをもたらしてくれるのだから、素晴らしい。


 その心地良さを象徴するのが「ユーリカ」だ。この曲は、荘厳なサイケデリアが特徴のシューゲイザーだが、そこにあるのはマイ・ブラッディー・ヴァレンタインの幻影ではなく、『Dummy』期のポーティスヘッドや、『Mezzanine』期のマッシヴ・アタックに通じるヒリヒリとした陶酔感である。そして、この陶酔感はおそらく、オープニングに「夜鷹」を収めることで増幅されている。


 太陽が登りかける深夜と早朝の間の風景が目に浮び、ひんやりとしながらも温もりを感じさせる音像が美しい「夜鷹」は、その音像に佐藤のスポークン・ワーズが乗った瞬間、風景がより立体的になり、まるでFPS(シューティング・ゲームの一種)をやっているときのような、あたかもその風景を自分が見ていると聴き手に錯覚させる。そういった意味で、「夜鷹」には聴き手の"自己同一化"を促す機能があり、それはジェームズ・ブレイク 『James Blake』と類似するものだ。


 言ってしまえば本作は、そんな「夜鷹」の余韻を最後まで引きずりながら聴くことになる。12曲目とはガラリと変わり、激情をそのまま吐きだしたような「春と修羅」が3曲目にあってもそれは変わらない。むしろ、「夜鷹」の余韻のなかに「春と修羅」があり、これらを経て「ユーリカ」にたどり着くからこそ、本作における「ユーリカ」の存在が際立つのではないだろうか? もちろんひとつの曲として聴いても「ユーリカ」は素晴らしいが、他の8曲と混ざることで、「ユーリカ」は真価のすべてを解き放つことができる。


 それにしても興味深いのは、「風化する教室」にある風通しの良さだ。物悲しさを漂わせる歌声が耳に残るのだけど、同時にきのこ帝国の"余裕"も感じとれる。それはアルバム・タイトルが示すように、きのこ帝国は向かうべき場所を"見つけた"から...かもしれない。だとしたら、本作の印象的なジャケットの目は聴き手側の一人称視点であり、そこには、"これから向かうべき場所へ行く私たちを見守ってほしい"というきのこ帝国からのメッセージが込められている、というのは考えすぎか? 



(近藤真弥)

retweet

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: きのこ帝国『eureka』(Daizawa Records / UK.Project)

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://cookiescene.jp/mt/mt-tb.cgi/3494