【合評】シャムキャッツ『たからじま』(P-Vine)

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 少年はいつか大人になる。今回シャムキャッツが発表した『たからじま』は、前作までの無邪気で愛らしい少年らしさからは一変。すこし大人びた凛々しい青年のような印象を受けた。正直言って、はじめに聴いたときにはあまり良さを感じられなかった。なぜなのか自分のなかで何度も考えてみたところ、"期待しすぎた"ことが一点と、"シャムキャッツらしくない"と感じたこと、この二点が理由だった。


 "期待しすぎた"というのは完全に筆者の個人的感想でしかないのだけど、じゃあ"シャムキャッツらしさ"って何なのか? という話である。今作は、従来の骨太ロックで荒削りな男らしさであったり、自由奔放なシャムキャッツ然としたものがあまり感じられなかった。はじめて聴いた瞬間、随分と音が綺麗に整理整頓されていたから「あれ?」と疑問を抱き、そして驚いた。しかし、何度も聴くと馴染みが良くなり、ああもっと聴いていたい...! 最高だ...! といったところか。


 一度聴いただけでは良さがわからない、噛めば噛むほど味の出るスルメのようなアルバムだ。そして、以前から持っていた"素朴さ"と、新しいステージへ登りつめようとするポジティヴィティーといった新旧一体となった良さがあり、新たなるシャムキャッツの顔を垣間みることができた。


 そんな、自らの持つ良さを広げていきたいという想いの集大成か? と感じられる今作。去年リリースされたミニ・アルバム「GUM」に入っていた『GET BACK』の段階でもわずかに変化の片鱗は見えていたのだが、今作ではさらに顕著に現れ、ソングライティングを菅原慎一(G/Vo)、大塚智之(Ba)も担当...というように分業化。


 歌詞のほうも、日常生活のなかに潜む、目を凝らさないと気づかない些細なロマンを凝縮した温かでキュンと胸が高鳴る菅原慎一の言葉に、いままでのシャムキャッツにはなかった明確でパキッとイメージしやすい具体的な語彙を用い、エキゾチックなエジプトを彷彿とさせる大塚智之の言葉が加わることで、色彩豊かでどれを食べても美味しい幕の内弁当のようになっている。


 そして、コーラスには藤村頼正(Dr)も参加...ということで、今作を聴くだけでシャムキャッツの変わろうとする意志が理解できる。また楽曲のレンジもだいぶ広がり、彼らの看板曲と言っても過言ではない「アメリカ」に次ぐ弾けるポップなロック・ナンバー「なんだかやれそう」、90年代USインディー・ロックを彷彿とさせ、人間の好きな食べ物のなかの5番目ぐらいにはランクインしているであろうヨーグルトに関して歌う「No.5」、そして平凡で何気ない日常に潜む幸せをふんだんに盛りこんだ「YOU ARE MINE」というように、余すところなく彼らが持っていた良さがこれでもか! と散りばめられている。


 実に3年半ぶりのフル・アルバム。そりゃあ力も入る。しかし、押しつけがましい印象は全く受けず、自然と生活にフィットする。はじめに話した"シャムキャッツらしさ"とは、私のあらかじめ持っていたイメージの話でしかなかったのかもしれない。人間がどんどん成長して、会うたびに印象が変わるのと同じように、シャムキャッツも大きく成長しようとしているのかもしれない。だって、彼らは希望に満ちあふれた未来の待つ"たからじま"へ向けて出発したのだから。



(立原亜矢子)



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 ブラーとして『Modern Life Is Rubbish』をリリースしたとき、デーモン・アルバーンはこんなコメントを残している。


「僕らはこの『Modern Life Is Rubbish』が、1993年という時代のサウンド・トラックになればいいと願っているのさ」(同作ライナーノーツより引用)


 『Modern Life Is Rubbish』がリリースされたのは1993年。いまから19年前である。当時のイギリスは、ニルヴァーナ『Nevermind』を端に発した世界的なグランジ・ブームの余波に覆われていた。ブラー自身も、92年に敢行したアメリカ・ツアーでそれを体感している。また、社会的にも当時のイギリスは厳しく(まあ、この国にはいつもよくない話がまとわりついているけど)、失業率は上昇を見せはじめ、多くの失業者が路頭に迷っていた。


 そこでブラーは、文字通り『現代生活はゴミ』と銘打ったアルバムをリリース。デヴィッド・ボウイやキンクス、それからデーモンが敬愛するジュリアン・コープ(「Pressure On Julian」なんて曲もある!)といった、いわば"古き良きイギリス"をかき集めた『Modern Life Is Rubbish』は、後の『Parklife』というお祭り騒ぎの礎として、あまりにも完璧な"イギリスのアルバム"であった。


 さて、場所は日本に移り、時は2012年。筆者の目からすると、現在の日本は90年代前半のイギリスに酷似しているように見える。もちろん文化や社会の仕組みの違いはあれど、街を歩けば先の見えない閉塞感や諦念がそこらじゅうに漂っている点では、近い状況にあるのではないか。それこそデーモンが「For Tomorrow」で歌った、《命かかってるんだから大変 / だからみんなしっかり手をつないで明日にしがみつく》ような現実。そこで生きるタフな精神とスキルが必要なところまで、日本もきているのかもしれない。そうした現在の日本において、約3年半ぶりとなるシャムキャッツのフル・アルバム『たからじま』は、軽やかなスキップのように嬉々と鳴り響く。


 《どうしたって沈んでいく船であいつはまだ / 宝の地図を描いてにやにやしている / やれそう / なんとなくいけそう / やらせてよ / もっともっと》(「なんだかやれそう」)


 《どうしたって沈んでいく船》という不安が背後に忍び寄ろうとも、《宝の地図を描いて》いる者について歌うこの曲は、ヤケクソではないポジティヴな空気を漂わせる名曲。正直に言えば、オープニングである「なんだかやれそう」の時点で本作の虜になってしまった。もちろん他の曲も、本作までに育んできた音楽的豊穣さと言葉選びのセンスが光っていて素晴らしいし、文字通り捨て曲ゼロなのだが、強いて推しをあげるなら、やはり「なんだかやれそう」になる。


 そして「SUNNY」は、シャムキャッツの豊かな表現力が如実に示された曲だと思う。本作は基本的に、日常において"再発見"した面白さを前向きに歌ったものが多いけど、「SUNNY」は前向きな気持ちだけでなく、後ろ髪を引かれる切なさみたいなものが背後でうろついているように聞こえる。「SUNNY」だからというわけではないが、筆者はボビー・へブが66年に発表した「Sunny」を想起してしまった。


 「Sunny」はジャミロクワイやジェームズ・ブラウンなど様々なアーティストによってカヴァーされてきた名曲で、強盗に襲われ亡くなったボビーの兄に対する思いが歌われている。だから「Sunny」は悲しみを漂わせるが、同時に言葉では言いあらわせないポジティヴィティーによって兄の死を乗りこえようとするボビーの姿が見えるのも「Sunny」の良いところで、複雑な感情を複雑なまま捉えられる音楽の可能性が最大限に生かされている。


 そんな「Sunny」のフィーリングが、「SUNNY」にもあるのだ。《灰色の世界に花を / 意地悪な悪魔に安心をちょうだいよ》(「SUNNY」)といった歌詞はもちろんのこと、1度聴いたら忘れないグッド・メロディーとシンプルなビートが印象的な曲調も、想起を助長する。"未来へ進むための音楽"が世紀を越えて受け継がれている気がして、思わず笑みがこぼれてしまった。


 シャムキャッツは"東京のインディー・ロック・バンド"と紹介されることが多く、シーンの顔役となれるだけの才能もあるが、本作に詰まったキラキラと輝く普遍的ポップ・ミュージックは、"東京"なんて狭い枠組みではなく、"僕たち私たちのポップ・ミュージック"として多くの人に愛される魅力であふれている。


 だから筆者は、本作を"東京のインディー・ロック"と呼ぶことはできない。それこそ、"2012年という時代のサウンド・トラック"と呼ぶべきだろう。それほどまでに本作は、雲がかった目の前の景色を晴れやかにする力を持っている。もちろんそこに"諦め"はなく、斜に構えたような皮肉もない。シャムキャッツは確かな希望を携え、歩きつづける。



(近藤真弥)


【編集部注】『たからじま』は12月5日リリース予定です。


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