上妻宏光『楔―KUSABI―』(EMI)

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 大島保克氏の『島渡る~Across The Islands~』で書いたように、伝統とエキゾチズムの相関性、そして、何らかの新しい試みには必ず、毀誉褒貶もそうだが、けもの道が拡がりながらも、切り拓いてゆくことで後進への轍も生まれる。


 例えば、津軽三味線であれば、故・初代高橋竹山氏の音源群や著書を紐解けば、来歴は可視化できるかもしれない。門付けとしての音楽から、「叩き」という奏法をベースにしたパーカッシヴで躍動感が溢れるスタイルへの変容と、民謡として「節」が多くの著名なアーティストが取り上げられ、より巷間に拡がっていった経緯。


 しかし、今、伝統と古典が等価に置かれるのみでなく、古典に対してのエキゾチズム的な思考様式からどういったディスクールが必要かということが試されている時期なのかもしれない。そのディスクールの意訳作業の際に既存の価値観、歴史を踏まえた飛距離が大事になってくるが、伝統はずっと引き継がれてゆくのか、文化的価値としてそういったものはしっかりと護られてゆくのか、杞憂もある。昨今の文楽を巡る問題にしても、エンターテインメント性、演出面だけではない、伝統、歴史の手触りを体感する、そういう当たり前のようで、もはや、当たり前ではない「何か」を問いかけていた要素もあった気がする。文化的なものへの優先価値が実際、厳しくなってきている瀬もあるからだ。


 津軽三味線奏者としては、突出したオルタナティヴな存在であり、世界でも認知度が高く、しかし、同時に津軽三味線への伝統や歴史に真摯な姿勢が高く評価されている上妻宏光氏の企画盤や編集盤を除いては、『蒼風』以来、実に5年振りとなるオリジナル・アルバム『楔―KUSABI―』はこれまで以上に、多くのトライアルに溢れた内容になっている。


 まずは、客演参加アーティスト陣の並びだけを見ても、特異なのが分かる。THE BOOMの宮沢和史氏、バンドネオン奏者にしてタンゴの刷新を進めている小松亮太氏、フラメンコ・ギター奏者の沖仁氏、日本のロック・シーンでも独自の美学を貫き、海外でも評価の高い雅-MIYAVI-、さらには雅楽演奏家の東儀秀樹氏、ヴァイオリン奏者の古澤巌氏といったその分野での言わずもがなの大御所、「ファイナルファンタジー」という世界的に人気の高いゲームの音楽作曲家である植松伸夫氏など錚錚たる名前が並び、レンジが広いながらも、上妻宏光氏のあの自在な津軽三味線の捌きは一歩も退かず、ときにスリリングなグルーヴを産んでいる。


 三味線という楽器が持つ既存のイメージがあるとしたならば、そこを内破していこうという意志の下、新作ではよりタフにして進行形の音楽の可能性を掘り下げている。個人的に、印象深かったのは、雅-MIYAVI-とのセッションの中で帯びてくる熱量の高さが残る「月影」。小松亮太氏のバンドネオンがたおやかに絡む「TMW ~ Tsugaru meets Waltz」では、「津軽音頭」をベースにワルツ調に解釈している。また、エレガントかつ洋装を和装にしっかり取り込んだ風情が漂うスティングの「Fragile」のカバー。エンディングを締めるオリジナル曲「縁の詩(えにしのうた)」ではモダン・クラシカル的な色彩豊かな音空間に彼の三味線が存分に、映える。


 これだけ、各分野の個性的なアーティストが参加しているゆえに、もっと散漫な印象を受けるかと思ったが、全体を通すと、構成の妙含め不思議とコンセプチュアルな側面も浮かぶ。ただ、多くのコラボレーションや津軽三味線奏者としてときにアヴァンギャルドな活動を行なうため、何らかの色眼鏡を持っている人も居るかもしれないが、彼のパフォーマンスを観た際、しっかりと「津軽じょんから節」や「津軽よされ節」など古典への敬慕、独奏が挟まれ、そこはやはり、大きい魅力だと感じる。


 ときに、音響システムを使用せずに民謡を演奏するツアーも行ないながら、アメリカからヨーロッパ、アフリカまで世界を縦横無尽に巡り、東日本大震災後も積極的に支援イベントに参加し、全国の小学校で三味線そのもの、伝統芸能に関しての授業も行なうなど、近年はより「革新」に裏付けられた「伝統」と、文化伝承を堅守する動きも目立つ。


 この『楔―KUSABI―』も、津軽三味線の作品としては捉えるのならば、オルタナティヴなものだと感じるかもしれないが、こういった契機から初めて暖簾を潜り、少しずつ歴史のページを捲ってゆく、そういう行為も大切ではないか、と思う。



(松浦達)

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