ZAZEN BOYS『すとーりーず』(Matsuri Studio)

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 時と場合によって、リスナーには「音楽の正解を掴みたい」というエゴがあると思う。僕にもそういうところはあるのだけど、ザゼン・ボーイズは常にそんなリスナーのエゴを「正解がひとつだけじゃつまらん」とばかりに、あっけらかんと僕らの想像を超える音楽を生み出してきた。


 それは4年ぶり、5作目となる本作『すとーりーず』にも貫かれている。ジャンルで言えばロックということになるのだろうけど、ロックのみならず、ハウス、パンク/ポスト・パンク、ファンク、ジャズ、ミニマル・ミュージックなど挙げればきりがないのだが、それらが立体的に入り組んだような、知恵の輪のような、あるいはキュビスム的なカタチでスリルをもってして鳴らされるものだから本作を聴いていると「正解」なんてどうでもよくなる。


 それでもあえて、ひとつ正解を提示するならザゼン・ボーイズはあらゆる音楽の方程式に収まらない。音楽への入り口を探すこともしない。入口を自ら作り出すし、即興演奏の中にザゼン・ボーイズは飛び込み、さらには聴き手を引きずり込む。いわゆるエレクトリック・マイルスみたいに。それって最高だろうと僕は思う。混乱が快楽を生むという異形の音楽でありながら、ポップ極まりなく中毒性もあり、訳が分からずとも聴き込んでしまう。欧米ではマス・ロックと呼ばれているようだが、マス・ロックが持つ数学的な計算性よりも偶発性をザゼン・ボーイズは鳴らしている。


 とにかく爆音で聴いてほしい。聴けばすぐさまカッコいいじゃないかと拳を握ってしまう音に溢れているのだから。再生した途端、飛び込んでくる耳をつんざく高音ギター。それが向井秀徳の歌声とも呟きともつかない、その中間をいく声とともにシンセが鳴り、変拍子のタイミングの鋭さに、こりゃただごとじゃないと思うはず。それは誰もが思うはず。音楽を"作る"というより"生み出している"インタープレイの躍動感が凄いんだ。呼吸音すら聴こえてきそうな緊張感の中で鉄と鉄とがぶつかり合うようなギター音、ぞくぞくする一瞬の静寂、隙があればすぐさま叩きのめされる攻撃的なドラム。ずぶずぶと沼に呑まれていくように彼らが生み出す音の吸引力に身体ごと乗っ取られる心地がするが、否応なしにグルーヴに捕まえられて音圧が眼球に飛び込んでくる気持ちすら浮かぶ。さらにはDJ的な感覚も持ち合わせている凄さ。


 そう、この新作は、今までのザゼン・ボーイズそのものなのだ。しかし確実に過去の作品とは別もので、最高傑作と呼べる不思議。それは向井秀徳の尋常ではないこだわりによって生まれている。「定型的じゃつまらん」、そこに尽きるのだ。その定型的ではないところにマイルス・デイヴィスの『On The Corner』を深くロックに落とし込んだと感じさせるものがある。それは探究心というより好奇心と言っていい。向井秀徳は音の探究者としての側面より、面白いと思ったものに夢中になれる超を幾つ付けてもいいほどの熱心な音楽好きだ。単純に、今やりたいことから新しい何かがどういったカタチで生まれるのかという好奇心を重視する。いわば、オルタナティヴ。


 実際、今年9月のライヴでの、互いの目と目を見詰め合いながらの即興演奏はヒリヒリとした空気を醸し出していたが、飛び出てくる音の一つひとつは喜びの意思を持つ言葉として聴こえてきた。さらにさかのぼれば09年のTAICOCLUBでのライヴはポリリズムの渦をダンス・ミュージックとして昇華させていた。しかも即興で。それらに、しかめっ面をした実験の意味合いはなく、まだ知らない音に出会ってみたいという音との出会いを楽しんでいるザゼン・ボーイズの姿が見て取れた。


 もちろんライヴだけではなく本作においても目をつむれば4人によって繰り広げられる見知らぬ音との出会いを楽しむ姿がまぶたの裏に浮かんでくる。「ポテトサラダ」や「暗黒屋」、「気がつけばミッドナイト」などがまさにそうだろう。特に「暗黒屋」での針の穴に糸を通すような"ここしかない"という音の配置は素晴らしい。そうして出てくる音には迫力や作品性の高さとともに《ポテトサラダが食いてえ》(「ポテトサラダ」)という歌詞のように過剰にストイックにならない茶目っ気があって痛快なのだ。


 本作にはザゼン・ボーイズが持つ緊張感と茶目っ気、どう聴いてもMade in JAPANの文字が刻印されている音がある。この「和」を思わせる音楽は海外からは絶対に出てこないだろうし、彼らの和的な音が日本人の僕らにもエキゾチックに聴こえてくるという不思議がある。そうして気が付けば夢中になっているという、まさにザゼン・ボーイズしか作れない音楽。前作よりも音数を削ぎ落とし今まで以上に骨格が浮き彫りになった本作は、彼らが音楽の可能性を楽しんでいることと同時に、世界を見渡しても唯一無二の存在であることを過去の作品より雄弁に語っている。


 異形の音世界を生み出している本作は新たな音世界を生み出していると言ってもいいだろう。たとえベッド・ルームで聴いていようと、公園で聴いていようと、ライヴ会場で聴いていようと「自分はここにいるべきなんだ」という、かつてレディオヘッドが「全てはあるべき場所に」と歌ったように、あるべき場所を本作は作りだす。音楽とは音を鳴らすだけではなく聴き手と音楽を肯定する場を生み出すものだと本作を聴けば分かる。そしてその場は今も常に求められている。音楽と人と場はあらかじめ繋がっているのだと実感できるのが本作だ。


 これからも、もっともっと新たな音世界との新たな繋がりを作ってほしいと強く思う。僕はザゼン・ボーイズの本作やオウガ・ユー・アスホール七尾旅人の新作にある音世界の先を早く見たい。たとえそれが小さな灯火のようなものだったとしても、僕らがまだ知らない希望的な未来のはずだ。



(田中喬史)

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