昆虫キッズ『こおったゆめをとかすように』(Tomoe / My Best!)

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 男女4人組のロック・バンド、昆虫キッズに「あと一歩、あと一歩だった」なんてものはないんだよ。次があるって? 冗談じゃない。彼らは今しか鳴らせない音楽をやり続ける。次を待つ守りの姿勢なんて丸めて窓から投げ捨てた姿が昆虫キッズであり、強く打ち鳴らされた瞬間に命が宿り、飛び跳ね、ぶつかり、駆け回るのが彼らの音だ。哀感と躍動の色が濃い音の全てが我先にとばかりに飛び出てくる。つまり、人畜無害な音はない。刺がある。


 今、日本には素晴らしいライヴをやるロック・バンドが3組いる。ズボンズ、ザゼン・ボーイズ、そして昆虫キッズだ。サード・アルバムとなる本作『こおったゆめをとかすように』。それはとびきりスパイスの効いた音楽でもある。ここには何気ない日常も平凡な日常もない。彼らは不満と希望と欲求で汗まみれになった日常を受け入れる。その全てを呼吸する。哀感の歪みをグルーヴとシャウトに近い歌声、女性コーラスと音響によって表現し聴き手の体温を穏やかに上げさせる。どこまでもしなやかに伸びていくメロディはさらに聴き手を静かに昂ぶらせ、重力が揺らいだような目眩をもたらすサウンド構築と変拍子もきまっている。強烈なスパイス。それは絶妙。


 豊かな技巧に裏打ちされたドリルンベースのようなドラム、飛び交うベース、叫ぶギター、ピアノの静謐な鳴り、迫力のある歌声、それらは別々の方向を向いているように思えるが、しかし、昆虫キッズという球体の中で、はみ出しそうではみ出さない勢いで飛び交いながら一体となり、聴き手を押し切るスリルがある。曲によってはダンス・ビートや現代音楽の要素、ハードコアの要素を交えていたり、突如ソニック・ユースのようなノイズを忍び込ませているところもあるのだが、それらが全く違和感なく、眠りに落ちるほど自然に溶け込んでいるところから彼らの成長が窺えて嬉しい。のもとなつよのコーラスはフルカワミキや元ムームのクリスティン以上だ。


 歌声も含めて衝動だけには頼らない音には達観した表情があり、気持ちに突き刺さってくる鋭さをもってして、ある種の毒として染み込んでくる。彼らはいつだってリスナーと向き合おうとする。向き合わなければ鳴らせない音楽があることを知っている。それは目眩、歪みであり、ロック・ミュージックの希望として受け取れる。彼らは掛け声だけの希望を投げつけることなど絶対にしない。聴き手の内部をえぐるような音と歌声と歌詞は時として僕らが漠然と思い描いていた正当なバランスを失わせる。いや、この気持ちをえぐられるような感覚が昆虫キッズの音世界であり、僕らに見えていなかった正当な現代の景色なのだ。


 本作での彼らの姿勢は「裸足の兵隊」で歌われる《太陽さんはあなたの影を作ってくれる》という歌詞に端的に表れている。この作品は雲の上から顔を出した太陽であり、聴き手である自分の影の存在に気付かされるものとしてあるのだと。震災についての曲もあり、あらためて僕らの気持ちをえぐり、影をあぶり出すものとしてある。聴いていると本作が持っている重みがずっしりと伝わってくるんだよ。生ぬるさの一切を排除した、現実という地に足をつけた彼らの真摯な気迫が。僕らも自分の足で立たないといけない。その思いが強く沸いてくる。本作は聴き手を行動させる。


 それは希望だ。昆虫キッズが鳴らすロック・ミュージックには未来を先延ばしにする音などなく、知性と獰猛性、文学性と危うさと儚さを瞬時に吸い込み、吐きだし、希望にしてしまうという、不変ではない人間の本質を突いた音と歌詞がある。それが素晴らしい。前作『Text』よりも哀感があり、幻想的な音響を排除したのは、勢いだけで聴かせたくないという思いと、真摯に音と言葉を受け取ってほしいという気持ちの表れなのだろうし、今を切り取った本作は、まさに今聴いてほしい作品だ。


 この間、ネット上をうろついていたら「ロックのダイナミズムを取り戻したい」という言葉を何度か目にした。「取り戻す?」、それは違うだろと僕は言いたい。取り戻さなくても、今、ロックはダイナミックにうねっている。嘘だと思うなら今すぐ本作を聴き、昆虫キッズのライヴを観に行くべきだ。今のロックのダイナミズムが鳴っているのだから。



(田中喬史)

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