HERCULES AND LOVE AFFAIR『DJ-Kicks』(!K7)

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 《Not Not Fun》《100% Silk》を主宰するアマンダ・ブラウンや、《Planet Mu》から『Dream On』という今年度ベスト・アルバム候補をリリースしたアイタルは、前者がポカホーンティッド、後者がブラック・アイズとして、現在とは異なる音楽性をインディー・シーンで鳴らしていた。しかし、現在のふたりはハウス/テクノに傾倒。しかも、多くの人はそれを"ハウス"や"テクノ"ではなく、"インディー・ダンス"と呼んでいる。


 なぜこうした状況が出来あがったのか? それは、"インディー"がある特定の音楽を表すジャンル名ではなく、実験精神とそれを可能にする寛容性、つまりアティチュード的な意味あいとして"インディー"を解釈している人が多く存在するからではないだろうか?


 そう考えると、ロックとイコールされがちで窮屈なものとなりつつある"インディー"ではなく、代替的ニュアンスを持つ"インディー・ダンス"(この呼び名は"オルタナティヴ・ダンス"と同義的に使われることもある)と呼びたくなるのも納得がいくし、アティチュードとしてのインディーを求めていくなかで、"インディー"に囚われていない外部の音に接近していくのは必然だと言える。テン年代のインディー・ダンスが持つ熱狂は、こうしたジャンルの外へ外へと向かう膨大なパワーによるところが大きい。


 とすれば、個人史を歴史とする音楽を鳴らしたジェームズ・マーフィー率いる《DFA》が、文字通りディスコでパンクをすることによってUSインディーの拡大解釈に成功し、その拡大解釈の作用で生じた隙間にハウスのエロティシズムを注ぎこむことで、ライヴ・ハウスとクラブを繋げたアンディー・バトラーの功績は、テン年代のインディー・ダンスを語るうえでは欠かせないものとなる。


 この功績がなければ、《Not Not Fun》や《100% Silk》はもちろんのこと、アンディー・ストットジェームズ・ブレイクといった、たくさんの文脈的入口がありながら、いくら遡っても従来の文脈や歴史にたどり着けない音楽、いわば"逸脱した音楽"を受けいれるだけの意識を聴き手が持つこともなかった。


 さて、本作はそんな功績を残したアンディー・バトラーの最新ミックスである。ドクター・バザーズ・オリジナル・サヴァンナ・バンド「I'll Play The Fool」といった、70年代のディスコ・クラシックを選曲した『Sidetracked』からすると、本作は80年代後半~90年代のトラックで大半が占められ、よりハウスなものに仕上がっている。アーティストもDJデュークやマーク・インペリアルなど、いわゆるおじさんおばさんホイホイなチョイスが目立つ。


 もちろんセレクター自身の新曲も収録され(これは『DJ-Kicks』シリーズの恒例)、それにあたる「Release Me」は、『Blue Songs』に収められていてもおかしくないハウス・トラックで、こちらも90年代の匂いを漂わせる。しかし、こうして作られた本作は、テン年代のインディー・ダンスが見せる"既視感的90年代"ではなく、それからは程遠い"クラブ・チックな90年代"であるのが特徴的だ。


 この差異には、テン年代のインディー・ダンスの礎を築きながらも、その後の流れに対するアンディーの戸惑いが表れていると思う。この戸惑いは"クラブという場所への愛着"と言ってもいいのだけど、テン年代以降のインディー・ダンスによるハウスの更新は、もはやハウスはクラブだけの音楽ではないことを繰りかえし主張する解放戦線であり、アイタルの『Dream On』にいたっては、その影響がダンス・ミュージック全体、果てはこの世にあるすべての音楽に波及する、つまり、音楽が固定観念という名の玉座から引きずりおろされる可能性もあることを示唆している。


 そう考えると、本作におけるアンディーの姿勢は、ちょっと頑固すぎる気がしないでもない。ましてやアンディーは、"ダンシング・ゾーン・コンセプト"なるものを掲げた人物だ。むしろ、テン年代のインディー・ダンスを歓迎すべき立場のはず。安定感あふれるミックスで聴き手を踊らせる本作だが、この点だけは、本作における唯一の不満として見逃すわけにはいかない。『Hercules And Love Affair』『Blue Songs』でぶっ飛ばされた者としては、なおさらである。



(近藤真弥)

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