CZECHO NO REPUBLIC「Ivory」(Mini Muff)

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 2012年8月でのほぼ初期メンバーである吉田アディム(Gt)の脱退は彼らにとって大きかったと思う。飄然と、しかし、若者らしい不安と虚無、無邪気さを色彩豊かなギターポップを経由して届けようとすること。OK GO、MGMT、ヴァンパイア・ウィークエンドの持つセンス、シンセが主体になった先へ運んでゆくサイケなものまでの飛距離をはかれば、まるで、ブルックリン・シーンの今昔物語の間を駆け抜けるスマートな音世界観は結成からの短い時間で音楽性も変容せしめていった。


 USインディー寄りのファースト・フルアルバム『Maminka』、セカンド・ミニ・アルバム『DINOSAUR』では、バンド・サウンドとしての一体感を打ち出し、サイケデリックで捻じれた要素を出来る限り排しながら、今の時代のユース・ミュージックにポップが絡まる意味を定義せしめたような作品だった。思えば、彼らは森、妖精的な何かを巡っての着想の破片がこれまでも服装や作風などいくつも見受けられていた。


 例えば、「Don't Cry, Forest Boy」のMVでは、「森」という記号と、フォークロアの結び目を探す節があったが、この新体制となってのセカンド・シングル「IVORY」における表題曲「アイボリー」は絵本の中の寓話めいたアイリッシュ・トラッド的なたおやかな曲であり、サポート・メンバーとして入った砂川一黄(Support Gt.)、紅一点のタカハシマイ(Support Cho/Per)とともに螺旋状に高揚してゆく曲調の狭間に、疲れ、笑う星、踊る風、寂しさ、箱舟、何もかも覚えてること、白昼夢と現実の鬩ぎ合いみたいなフレーズ群が多彩なコーラスによって包まれるとき、《寂しいのは短い夏が 終わったから そうだよ》、《悲しいのは昨日見た映画のせい 苦しいのはなぜだろう...》と極点にゆく。そこから輪舞するように、全員でアイボリーを巡るアーヴァン・フォークロアを昇華させる展開は麗しい。その他、ストイックな「Shalala」、「Nowhere Boy」でのクールなスイング感、キュートでポップなこれまでの彼ららしい「MIKA」まで以前/以後の過渡期を刻む四曲が並ぶ。


 しかし、アイリッシュ・トラッドという音楽に魅せられるアーティストは多いが、そもそもはそこに楽譜はなく、口承から歌へ、そして文化、更には豊潤でふくよかな歴史を編み込んできた、というところもあるのかもしれない。ファースト・シングル「Casually」、アルバムにも入っていた「ショートバケーション」では、若さゆえに未来が分からないから手を繋いで、ショートバケーション(短くも、無為な休み)へトリップしてみる潔さと不安が綯交ぜになっていた。そこから、「アイボリー」での《寂しいのは短い夏が 終わったから》と言い切れる境地にまで分け入った確たる一歩は美しいと思う。変わらないものを変えようとしても、変わらないまま、時間だけが移ろう。では、その時間の移ろいと変わらないものを天秤に掛けてみれば、高度に管理化された都市生活の切れ目から零れたタナトスに引っ張られがちな集合的無意識が膠着状態になってしまっていることもある。膠着した集合的無意識はなるべくのこと、リスク回避のため、「同じ方向」や「同じ未来」を目指すべくそのまま大文字の箱舟を待ってしまう可能性が高くなる。


 そこで今こそ、チェコ・ノー・リパブリックは少しリズムを落として、"誰も"が舞うように踊ることができるように、森の中で行なわれるささやかなパーティーの招待状を出す。鳥のさえずりに耳を澄まし、ほんの少し空気の澄んだ場所で色んな動物たちと幻想的な時間を"誰か"と過ごせるように、と願う。


《消えそうなアイボリー 壊れそうなアイボリーの中を行くの 一人》

(「アイボリー」)


 どんどん彼らの音楽の純度は高く、毅然となってゆくのが頼もしい。



(松浦達)


【編集部注】2012年11月7日リリース予定

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