LLLL「Mirror」(Self Released)

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  まず目を惹かれるのは、ペルリ(Perle)によるアートワークだ。喜多川歌麿の繊細なタッチと、渓斎英泉の官能美を合わせたような浮世絵的ジャケット。それは、殺伐とした現代を浮き彫りにするようなグロさが窺えるものの、目を背けたくなるようなものではなく、むしろ妖艶ですらある。


  最近のLLLLは視覚的表現においても興味深いことを行っていて、そのなかでも注目すべきなのが、八尋南実による「Drowned Fish」のMVだ。閉塞的世界に遊びで対抗する少女を描いたこのMVは、「Drowned Fish」の二人称な歌詞を反映するかのように、遊びで現実に対抗する少女を讃えつつも、後半では現実の凄惨さを躊躇なく表現しているように見える(これらは八尋氏の発言を引用。詳しくは、《Lights + Music》によるこちらのインタビュー記事を参照)。

  

  そしてなにより、「Mirror」に向けたプレリュードの如く漂う'死'の匂いである。実際、少女が現実に打ち負け'死'を選んだことを想起させるシーンも登場する。では、少女に忍び寄る'現実'とはなんなのか? MVでははっきりと描かれていないが、おそらくその'現実'とは、LLLLの在り方から察するに、'情報社会'ではないだろうか。


 「LLLL」のレビューで、「視覚的に決めた名前」という本人とツイッターでやり取りした際の言葉を引用したが、LLLLのミステリアスな活動も含め、こうしたある種の実態性の希薄さは、去年あたりから名を見かけるようになった(そして、早くも一部では「終わった」と囁かれている)ヴェイパー・ウェイヴ(Vaporwave)を思わせる。


  だが、産業によって衰退させられた音楽を自ら演じることで、音楽産業と情報社会に対して批判的アプローチを取るヴェイパー・ウェイヴとは違い、インターネット・カルチャーが生んだインターネット・ミュージックという共通点はあれど、LLLLはあらゆる音楽へのアクセス権を得た'今'を肯定するような側面がある。


  だからこそ、《Guardian》が今月のベスト・ニュー・ミュージックとしてLLLLをフィーチャーするなど、海外からもレスポンスを得ることができるし、ここ数年盛りあがりを見せる日本のインディー・ミュージックにも足を置くことができる。そして、数人の音楽ブロガーによって運営されている《Hi-Hi-Whoopee》の記事における、「東京の音を作りたい」というバンドコンセプトに関する発言に従えば、アベックアベック(Avec Avec)やカナタトクラスといった、新世代シティー・ポップと接続することも可能だ。


 このようにLLLLは、明らかに10年代以降のインターネット・カルチャーの恩恵を受けている。そう考えると、「Mirror」にまとわりつく'死'が疑問として浮かびあがるわけだが、これはおそらく、情報社会によってタグ付けされた音楽の死、謂わば'祝福の死'ではないだろうか。先述したように、様々なシーンやカルチャーに行くことができる可能性を孕んだLLLLの音楽は、我々が恣意的にあたえてきたジャンルという名の情報から逸脱している。そして筆者はこの逸脱を、'情報社会そのものからの逸脱'であると考える。


  言ってしまえば本作は、刹那的盗用アートであるヴェイパー・ウェイヴの先、つまりポストに位置する作品であり、'終わりの始まり'を示すものである。その始まりは希望なのか絶望なのか、その判断は本稿を読んでいるあなたに委ねたいと思うが、「LLLL」から引きついだ、ゴシックなメタリック・サウンドとブレイクビーツのなかに、ティガとデペッシュ・モードが組んだようなディスコ・ナンバー「I Wish You」が紛れこんでいるのは、かなり示唆的だと思う。この曲、リバーブの海に溺れていないのだ。


(近藤真弥)



【編集注】本作はLLLLのバンドキャンプからダウンロードできます。

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