HOT PANDA『Go Outside』(Mint)

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  ホット・パンダのメンタリティとしてあるのはパンク/ポスト・パンクやアニマル・コレクティヴなど影響力のあるものを象徴にせず、そして、それらは決して権威には成り得ない、ということをデビュー当初から堂々と音楽で表現している点だ。かつてストロークスのメンバーがロックンロール・リヴァイヴァルの象徴とされるのを嫌がったように、ホット・パンダのロック・サウンドとはロックンロール・リヴァイヴァルでもポスト・パンク・リヴァイヴァルでも、はたまた他の何かでもなく、標識化されることを迂回して鳴っている。

  ホット・パンダの音楽性はパブリック・イメージ・リミテッドやアニマル・コレクティヴ、時としてモデスト・マウスやトーキング・ヘッズを思わせる。にもかかわらず、ホット・パンダは特定のバンドの音楽性を後ろ盾にせず、象徴としての記号性をも削ぎ落とし、純粋に音としての素晴らしさをファースト・アルバム『Volcano...Bloody Volcano』とセカンド・アルバム『How Come I'm Dead?』にて鳴らした。それはサード・アルバムとなる本作『Go Outside』でも変わらない。このカナダはバンクーバーの、音に純粋性を求める4人組ロック・バンドは単純に音マニアなのだと思う。言うならば音しか信じていない。そこが面白い。

  ホット・パンダの音マニアとしての潔さはたっぷりと装飾された過去の作品からも窺えるが、本作では音数をかなり削ぎ落としている。大体において装飾を削げば削ぐほどバンドの本質は浮かび上がってくるものなのに、ホット・パンダの場合、削いでもあまり印象が変わらない。ゴリっとした質感が出ているが、グッド・メロディはもちろんのこと、音数は減っても音色と音の配置がポップ・アートのようにカラフルで、クラウトロックの要素もあり、しかも立体的。それでいて、これまでの色彩豊かな作品と比べれば最も生々しい音が不気味に笑っているかのごとく鳴っている。これはジャケットにあるように、ホット・パンダが音の中に裸でダイヴして捕まえた音を鳴らしていると受け取れるし、僕はそう受け取りたい。音楽表現という自由の中に深く首を突っ込むと、逆説的に自由という名の束縛に捕われることになる。その中で、一体何を鳴らせるのかをホット・パンダは本作で試みた。そうして出てきた音の全てには、タフとでも言うべき鳴りがある。

  アコーディオン、チェロ、トランペットがロック・サウンドの中で揺らぐように鳴り渡り、ノイジーなギターが楽曲に攻撃の色を与え、ヴォーカリストのシャウトは暗い洞窟の中での叫び声のようだ。そんな異臭のある本作には、「この音の中にダイヴする覚悟はあるのか?」と聴き手に迫ってくる熱がクールに存在する。それが妙に格好よく、なおかつリスナーの痺れを誘い、どの音も目に焼き付くように耳から離れない。彼らの本質とは音の装飾ではなく、音へのこだわりであり、足し算でも引き算でもなかったという当たり前のことに気付かされるのだ。タイトルは『Go Outside』だが、違う、本作は彼らの「Inside」であり、それゆえの生々しさがパルプのように妖艶に漂っている。

  08年に結成された音にこだわる音マニア、ホット・パンダが今も生きている点に新世代の風は止むことなく吹き続けるだろうと感じると同時に、音楽性は違っても、同じく権威や象徴から離れた場所で、音マニアとしての姿勢で音を鳴らすグライムスヒア・ウィー・ゴー・マジックなどがリスナーから支持されている現状は、ひとつの現象として今以上に注目されてもいい。


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