CAT POWER『Sun』(Matador / Hostess)

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 秋の終わりを感じさせる歌、ヤスリの上を歩いているような歌と例えられる歌声を持つキャット・パワーことショーン・マーシャルの歌にはいつだって偽りなどなかった。何かに安易に流されない"凄み"がある。抑制されていながらも、聴き手の気持ちのざらついた部分と摩擦し合うその歌声は、常に僕らの痺れを誘い、同時に安堵さえもたらす。唯一無比の歌声。キャット・パワーことショーン・マーシャルの作品を聴くことは「ショーン・マーシャルを聴く」という表現がぴったりくる。彼女は絶対に音楽を自分の中に閉じ込めないし、自家中毒にも陥らない。


 それをデビュー当時から貫いている彼女は本作『Sun』においても自分の歌声を変えることなどしない。いや、ショーン・マーシャルの歌声とは、変えられないほど絶対的な響きとして鳴り渡る。時にささくれだって、時に穏やかに。自身の心情を潔く身にまといながら、狂おしささえ含めて迫ってくる歌声とコーラスは、静かに、しかし圧倒的な存在感をもってして聴き手の感情の昂ぶりや沈みを消し去り、はたまた引き出したりと、聴き手の中にあらかじめ存在しているが喜怒哀楽では表現できない感情をあぶり出す。僕はなんだか徹夜明けに見る太陽の光の刹那さを思い出した。


 あらゆる娯楽や芸術は人間の内部を照らし、感動とともに今ここにいるという生を実感させる。決して聴き手を傍観者にさせない。それを具現化しているのが七尾旅人であり、シガー・ロスであり、キャット・パワーだ。その魅力に惹かれ、僕らはいつの間にかキャット・パワーの音楽と向き合っていることに気付く。


 ショーン・マーシャルとは、さりげなく「自分は自分のままでしかいられない」という常套句を、強い説得力をもってして歌にのせて伝えられる数少ないシンガー・ソングライターだからだ。逆を言えば、自分しか表現できない。それは素晴らしいことだと思う。PJハーヴェイは『Let England Shake』にて外(世界)に目を向け、開放感のある音世界を創作したが、ショーン・マーシャルは常に聴き手に目を向ける。今なおパーソナルな心情をさらけ出し、聴き手と向き合うことを恐れない。むしろ、聴き手と目と目を見詰め合うことを求めている。彼女の歌声を聴けば自然体でいることの勇気に感服し、反省させられるものがあるのだ。


 カヴァー・アルバムを含めれば約4年半ぶりのフル・アルバムとなる本作だが、ここにも自然体でいることの勇気、大切さは詰まっている。そしてそれはショーン・マーシャルという生身の人間が立っていることを思わせる生命力に満ち、雄大な生命に溢れた音楽とでも言うべき作品に仕上がった。もちろん、これまで彼女が発表した作品の全てにも時が経っても決して失われない、呼吸音の擦れさえ聞こえてきそうな生命力があったが、セルフ・プロデュースである本作に重苦しい雰囲気はほとんどない。


 本作のミックスを手掛けたのがビースティー・ボーイズの『Hot Sauce Committee Part 2』のミックスを手掛けたフィリップ・ズダールということもあってか、軽やかに音が弾んでいる。情動に訴えかけてくる音の数々。もし感情に境界線があるのなら、その上で鳴っているようなサウンドが打ち込みやシンセとともに鳴り、ラップ、ブルーズ、ソウル、ビート・ミュージック、IDMの要素とともに優美に跳ねている。そんな本作は、感情の境界線上とともにジャンルの境界線上で鳴っているようでスリリング。そこにショーン・マーシャルの歌声と静かに降りてくるようなコーラスが加わると、パッションという生命力がとても静かに膨らんでくる。


 しかもジ・エックス・エックスの『XX』にあるような空間処理を施した音響空間すら何気なく忍ばせていたり、イギー・ポップが参加しているデヴィッド・ボウイのような曲もある。カヴァーしたことのあるバンドやアーティストから、単に影響を受けるのではなく、溶け込ませるわけでもなく、自らの音楽性とぶつけ合わせて出てきた本作は、歌声はもちろんのこと、サウンドのどれを取ってもキャット・パワー。要は、刺がある。『IRM』を悪く言うつもりは毛頭ないが、ショーン・マーシャルはシャルロット・ゲンズブールの『IRM』を選ばなかった。そこに彼女のメンタリティが端的に表れている。借り物の音なんて全然ない。


 それゆえに思うことがある。本作『Sun』を、「エレクトロニカ的な方向へ進んだ意欲作」と評する向きがあるが、僕にはそれが分からない。エレクトロニカ的なアプローチを取ることはショーン・マーシャルにとって意欲的なことではないからだ。彼女が98年に発表した『Moon Pix』の「American Flag」を聴いてもらえれば分かってもらえると思う(ダーティ・スリーのミック・ターナーとジム・ホワイトが参加)。本作は過去の作品とともにフラットに捉えられることができる音楽だ。物凄い変貌はない。


 確かに音楽性のふり幅は広がっているし、ポジティヴな空気も広がっている。しかし思うのは、『Sun』の中核にあるのはあくまでも彼女の偽らない歌声であり、彼女のアイデンティティが強く出ているということだ。その声に痺れる。一体僕らはどれだけの偽りの声を聞いてきたのか。テレビから、ラジオから、オトナから。彼女の歌には、そんなものとは何百光年も離れた声がある。それがいい。それだけでいい。



田中喬史) 

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