ドレスコーズ「TRASH」(Nippon Columbia)

|

ドレスコーズ.jpg 時にロックンロール・スウィンドルとして、時に類まれなロマンチストとして、デカダンスの衣を纏いながら、毛皮のマリーズのフロントマン志磨遼平は日本のポップ・ミュージックシーンにおいて常に特異な存在感を放っていた。

  しかし、メジャー・デビュー以降リアル・タイムでその活動を追っていた身としては、彼らの出す音源にはいまひとつピンとこなかったというのも正直なところだ。その理由の一つとして彼らのパスティーシュが、その露骨な、過去の音楽への参照が彼らなりの表現形態として結実しておらず、少なくとも音楽としての面白みが感じられなかったからだろう。

 例えばミイラズ(The Mirraz)はアークティック・モンキーズへのあからさまな執着/模倣が最終的に彼らのスタイルとして昇華されることによってその表現型が確立されたが(メジャー1stシングル「僕らは/気持ち悪りぃ」で彼らはまた次のフェイズに入ったようだが)、毛皮のマリーズにおけるそれはどうしても模倣以上の何ものかがそのサウンドから立ち上がってこないように思えたからだ。

  彼らが参照する様々な音楽、例えばメジャー1stアルバム『毛皮のマリーズ』におけるRCサクセションやT.Rex、ほとんど志磨遼平のソロ・アルバムといってもよいメジャー2nd『ティン・パン・アレイ』におけるフィル・スペクター、ティン・パン・アレイ(ティン・パン・アレイとはNYの28番通りの5番街とブロードウェイにはさまれた、音楽出版社が集まっていた一帯を指す。ここで、ジョージ・ガーシュインをはじめとした多くの優れた才能を持ったアーティストによってロックンロール誕生以前のアメリカン・ポップスの基盤が整えられていった)などは確かにそれぞれのアルバムのコンセプトに適しており(その参照はサウンドだけではなく歌詞レベルにも及んでいる)、そのチョイスの幅広さとセンスには唸らされるものがあるが、その器用さがもたらしたのは豊潤さではなく、毛皮のマリーズというバンドのアイデンティティ(それは結局なんだったのだろうか)をわかりにくくする曖昧さではなかっただろうか。

  その曖昧さはしかし、彼らの唯一無二の魅力として機能していたのもまた確かであり、それがどこに行き着くのかを見届けるつもりで彼らの動向には常に注意を払っていたのだが、周知のとおり去年の9月に彼らはラスト・アルバム『THE END』を発表し、そして解散してしまった。

 映画『苦役列車』の主題歌にドレスコーズ「Trash」が使われる、という記事をネットで見つけたのがドレスコーズというなにやら怪しげな名前を持ったバンドとの初めての出会いであった。その名前に魅かれるままにバンドのことを調べ、志磨遼平が新たに作ったバンドだと知った時には驚いたものだ。そして彼らのデビュー・シングルの曲名が「Trash」=「ゴミ」であったことには志磨遼平らしさを感じ、そこには新たな始まりを予感させる極めてポジティヴな響きが宿っているようにも思えた(英バンド、スウェードの美しい同名曲がバーナード・バトラー脱退後の彼らの低迷を覆した起死回生の一曲であったことがその理由の一つであろう)。

 ドレスコーズの1stシングル「Trash」、特にタイトル曲である「Trash」とフランス語で歌われる志磨のヴォーカルが気怠く、そして艶めかしいミュゼット風のロック・ナンバー「TANGO,JAJ」における主役がドラムスの菅大智であることはまず間違いない。ザ・フーのキース・ムーンを彷彿とさせる、荒れ狂う彼のドラム・サウンドは、今後ドレスコーズのゆるぎないトレード・マークとなってゆくだろうということが容易に想像つく。これほど手数が多いのにもかかわらず、まったく曲の邪魔をせず、志磨の歌と詩を引き立てているところが実に素晴らしく、希有のドラマーの誕生に立ち会ったのではないかという興奮を覚えてしまったことは隠しようもない事実だ。山中治雄(元チョモランマ・トマト)のベースと丸山康太のギターがある程度、曲の世界観に寄り添っているように聴こえるのに対し、この菅のドラムスは、間違いなく曲を構成している大きなファクターでありながらもその曲を内側から食い破ってゆくようなバイオレントなものとして存在している。志磨にとって、自分以外にもう一つの強い個性がバンド内にいるという事実が非常に新鮮なものであることは、ワンマン・バンドとしての色が強かった毛皮のマリーズの頃と比較して考えてみるとまず間違いないだろう。

 この新たなバンドを得て、志磨は「I'm Trash」と歌っている。ここには後ろ向きな想いはまったく現れていない。彼はマーク・ボランがメタル・グル―に呼びかけたように、ボブ・ディランが「How Does It Feel?」と歌ったように、彼は潰れた爬虫類のような声でBlueに「何かを失った気分はどうだい?」と歌い、デヴィッド・ボウイがロックンロールの自殺者となった時のように、こめかみに銃を突きつけながら「打ち抜いてくれコルトガバメント」と歌っている。クリシェとしてのタナトスに満ちた志磨の歌詞は《愛し合う、ってやつをちょっとばかりつかむんだ》という言葉と同列に並べられることによって強烈なスウィング感を生み出し、それはロックの歴史が作り上げてきた、限られたものだけが使用することを許された方程式に従って、類まれな高揚感となる。

 この3曲だけではまだ、ドレスコーズの全貌は見えてこない。前述したような毛皮のマリーズが持っていた(と私が考えている)問題点がまた顔をもたげてくるとも限らない(事実3曲目「バラードの犬」には毛皮のマリーズの時と同様の危うさが漂っているように思える)。しかし、来るべき彼らの1stアルバム(9月1日、オフィシャルサイトのNEWSに1stアルバム完成との報告があった)はこういった不安を軽々と越えてくるような傑作になるのではないかという期待のほうが今ははるかに大きい。

 オフィシャルサイトのCOLUMNで志磨遼平は「ぼくは幸福を恐れない」と書いていた。そんな男が作る音源がどんなものになるのか、楽しみでならない。

 

(八木皓平)

retweet