高木正勝「Yu So Ra Me」EP(Self Released)

|

高木正勝.jpg 高木正勝というアーティストは現代音楽の括りに入りながらも、そのポイエーシスをして、ロック/オルタナティヴ・ミュージックを愛する人たちからも注視されている。更には、映像面から多岐に渡る活動まで全身藝術家のそれを体現もする。しかし、彼の静謐のフレームの上を際どく鳴るピアノのタッチに、ふと耳を奪われてしまう人も多いと察する。個人的に魅かれるピアニストでは、グールド、ベネディッティ・ミケランジェッリ、ホロヴィッツ、ラフマニノフなどが居るが、彼らに「共底」するとしたら、ピアノが鳴っている音以上の「行間」を大事にしているような風情があるというのに収斂出来るのかもしれない。

 日本人的な「細部に神が宿る」のを愛する人たちが感情をアイデンティファイしやすいグールドの人気は言わずもがなだろうが、ミケランジェッリの『パガニーニ協奏曲』、ホロヴィッツ『第二ピアノ協奏曲』、ラフマニノフ『パルティータ』などを聴くと、アーティキュレーション、譜面からはみ出るような透明性と純度の高さを感じる。モダン・クラシカルの文脈下では、モダンにもクラシカルにも「分断」されない、仄かに宿る稚気と狂気性も然り、それぞれ即興的な演奏を或る程度は是としながらも、その実(速弾きがどうなどの余計なオプションが付随しつつ)、上品に且つ細やかに音が編み込まれている感覚が予め内包されている。昨今では、ダスティン・オハロランもそうだろうか。弱音、カンタービレ、構造的配置の妙。ちなみに、僕はリヒテルのタッチまでいくとナイーヴ過ぎてしまい、わずかに反撥してしまうのは彼が事実、内向性でヴァルネラヴィリティに溢れる人間だというのがある。

 数多の世界のピアニストたちの「指先」に見えるのは、精神性の脆く裸身の美しくも残酷な尖りで、それが時に聴き手には内部の古傷を抉るように癒すように、心に響くならば、高木正勝の分岐点ともなったといえる2009年の『Tai Rei Tei Rio』を巡る2010年のドキュメンタリー・フィルム、そのDVD『或る音楽』で、有名曲の「girls」を弾き語るときの音の揺れ、麗しいダイナミクスにはどうしても芳醇たる動悸をおぼえてしまった。それでも、彼自身は雄大なる太古、歴史を辿り、生命を巡る旅路にて現代音楽的な意匠という縛りではなく、原始的なレゾナンスの中で人間の鼓動に近付く行為に接線を敷く訳で、それはかの竹村延和の過去作『こどもと魔法』辺りの温度の近似点を保ちながらも、どんな年齢の人たち、例えば、大人のような子供、子供のような大人の琴線、そして、言語、意味共通圏域で通じているという各々の暗黙の錯覚をほぐす。今年は、アニメーション映画『おおかみ子供の雨と雪』のサウンドトラック、アン・サリーの唄う主題歌「おかあさんの唄」を手掛け、その映画自体の評価もさることながら、彼の描く、新しくも誰しも心の中に宿る故郷たる何かへのノスタルジア、慕情を掻きたてるワークスも美しかった。つまりは、音楽はリアリティが峻厳な状況に置かれても、やはり無力ではなく、しっかりと伝わる―そういった行為性の拡がり。

 この「Yu So Ra Me」EPは、第5回トヨタ夢のクルマアートコンテスト スペシャルムービーの音楽である「Sora」と「Yume」、そして、『Always '64 続・三丁目の夕日』のタイアップCM音楽「Yubi Piano」など4曲を収めた配信オンリーのものだが、彼のHPには但し書きとともに、絵を担当した さとうみかをによるpdf.形式のブックレットがリンクされており、各々でフリーに保存も出来るようになっている。You Tubeでの積極的な演奏風景の呈示含め、視覚的にも聴覚的にも、一層のこと、今の彼は自覚裡だろうが、表現、受容者、現実、それらを結び合わせるインタラクティヴな佇まいを進めている証左の一端を示す。

 「Sora」は昨今のモダン・クラシカルの音楽に沿い、子供の声やトイ・ポップ的な無垢さが接着された柔らかい曲、「Yume」は彼の端正なピアノが冴える子守唄のようなヒプナゴジックな質感を持つ曲。他の2曲も含めて、13分半ほどなのに、一瞬に思えるほどの果敢なさと凛然たる強度があり、同時に、昨今の加圧の掛かる音楽が多い中で自然の温柔な風のそよぎとともに届けられる色彩がある。

 このEPでの色彩を掴もうとすると、おそらく、ふと誰もが元来、潜めている「自然=本性(Nature)」に帰させるような、そんな訴求力が備わっていると思う。

 

(松浦達)

 

【編集部注】高木正勝「Yu So Ra Me」EPはiTunes Music StoreAmazon等で配信中です。

retweet