ザ・なつやすみバンド『TNB!』(TNB)

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ザ・なつやすみバンド.jpg 例えば夏に、頭からプールにざぶんと飛び込んだとき、友人たちと海までドライブしたとき、嫌な事を忘れようと見上げたら、目に痛いほどの青空があったときなどは、その時々に甘酸っぱかったり、和やかだったり、悲しげだったり、何らかの音楽が胸の内でBGMとして流れていたはずで、「景色を思い出しながらそこに必要だったはずの音楽を作っている」と言うザ・なつやすみバンドのファースト・フル・アルバムである本作『TNB!』は、《果てのない世界にもううんざり》(「自転車」)と歌われているように、世界にとっては特別なことではないけれど、一人ひとりにとっての特別な瞬間に流れていたはずの音楽を鳴らしてくれるのだった。そこに記憶の美化はなく、不明瞭だった夏の景色の記憶が浮かび上がり、景色とは見るものではなく音楽によって見えてくるものなのだなと、とても観念的であったとしても思わされる。

 ピアノと歌、ベース、ドラムを中心に、トランペットやスティールパンなどを自在に操る男女混合の4人組のザ・なつやすみバンドは08年結成。クラムボンや空気公団と比べられることが多い。けれども、爽快なロックンロールや、どこかブルーズやソウルの匂いがする楽曲が収録されているのは面白い。8曲目の「ホーム」はキセルに通じるところもある。音の滑らかさと中川理沙の可愛らしい歌声、メロディ・ラインの丸みは素晴らしく、全ての音がころころと転がり、良い意味で力みがないのはザ・なつやすみバンドの真骨頂だ。自家製手作り感とでも言うべき愛らしい音を奏でるこのバンドの本作は、単純にBGMとして聴くこともできるし、BGMとして流していたら、ふとした瞬間に耳を傾けてしまうような音の遊びがある。その耳を傾けてしまう瞬間とは、思春期のあの特別な瞬間に流れていたはずだった夏の甘酸っぱい音の鳴りであり、鳴っていてほしかったものであり、思わず微笑んでしまう。そう、《世界が忘れそうなちっぽけなことも / ここではかがやく》(「自転車」)。

 純粋にポップ・ソングとして最良のもので、「ねえ、これ良いよ」という感じでフランクに友人にCDを貸したくなるサウンドに満ちているのも良い。音のどれもが過剰に主張せず柔らかな弾力がある。人懐こいのだ。本人たちは意識していないだろうけど、スカートやヘラジカアオキ・ラスカらの作品と同じく、普遍性のある本作はここ日本において、ポピュラー・ミュージックの本当の意味でのポピュラー化に繋がる予感さえ漂わせている。

 それはやはりポップであることと、遊び心があるからだろう。その遊びは他のメンバーが言うようにMC.Sirafuによるところが大きい。メロディを生み、音響も生み出すトランペット。ファンキーに跳ねるスティールパンの涼しげな音色には楽しみの心地が宿っている。「自転車」でのチェロやヴァイオリン、ヴィオラ、ペダル・スティールの音にお高くとまったところは一切なく、ドラマチックとは別物の日常を醸しだしているところがあり聴いていて清々しい。サンプリングされた蝉の鳴き声や風鈴の音には茶目っ気がある。いつか某ファッション誌の編集長が「こども心と遊び心は忘れちゃいけない...」と自分に言い聞かせるように口にしていたのを覚えているが、本来、音楽とは言葉や感情から生まれたもので、遊びたいという感情でもって音で遊ぶのはとても自然ことだと思う。と同時に、ときとして聴き手は音とたわむれることをごく自然にやっているザ・なつやすみバンドに憧れを抱くこともあるかもしれない。遊びたくても遊べない人は多くいる。しかし憧れなくてもいい。よく聴けば、ここにあるのはドラマを待つ姿勢などなく、憧れられることを丁寧に折りたたんで捨てた等身大のリアリティー(ライヴ感)に溢れる音楽なのだから。

 僕らは既に通り過ぎた幾つかの夏の中で、どれだけの出会いと言葉を大切にできただろうか。

《言えない言葉は、雨に流されないように歌う、絵を描く、抱きしめる、なんでもいいよ》(「悲しみは僕をこえて」)

 歌い、絵を描き、抱きしめても満たされない、僕らには言えない言葉が幾つもあっただろう。それを音にし、ザ・なつやすみバンドは夏の景色とともにそっと届ける。まるで手書きのはがきのように。

 

(田中喬史)

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