ラジ・パテル『肥満と飢餓 世界フード・ビジネスの不幸のシステム』書籍(作品社)

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肥満と飢餓.jpg まず、この書はいわゆる、最新書ではなく、日本書は2010年に刊行されていること、日本書版では、"Stuffed and Starved. The Hidden Battle for the World Food System"の全訳ではあるものの、訳者の佐久間智子女史が触れているとおり、紙幅の都合で、参考文献一覧、脚注の一部、本文の論述と無関係な詩などの一部は割愛されているとのことわりを入れておく。ただ、今、読んでも、内容自体は古びていないどころか、ラジ・パテル氏の視線がしっかり映り込み、グローバル的なフード・システムに関わる貧困から進行形で続く「食」という大きな命題に触れている。2012年の現在で手にしても遜色がないどころか、多くの示唆が見つけられるオルタナティヴな書である。つまり、貧しい人たちは、怠惰だから飢え、豊かな人たちは、美味しいものを占拠して、太っているという既成概念を覆す、さらに、「食の安全」という簡単なフレーズや食に関連する書物、記事が玉石混淆でも、溢れている中、単一的な価値観に帰着してしまわないように、この書が何らかの契機になれば、との想いであえてピックするのを配慮願いたい。

 国連食糧農業機関(FAO)の2009年推計では、世界の飢餓人口は、初めて10億人を越え、10億2,000万人となり、現在もこの数値は進んでいるといえる。比して、肥満人口も10億人を越えている状況というのは、栄養価だけの問題なのか、というと、経済、市場メカニズム、国家間の駆け引き、貿易、原料など多くの連関内で浮かび上がる輪郭である。食肉消費、例えば、自身でも研究で行く、東アジア圏内の新興国では宗教的、文化的な問題はあれども、マクドナルドが来ると、自分たちも先進国の仲間入りをした、というイロニカルな物言いがあるが、「ハンバーガーを食べるということ≒高度資本主義社会でのクールネス」―そういう風潮はまだある。

 「ビッグマック・レート」という言葉が旧聞になれども、ビッグマックの価格で世界経済を分析する、それは通じない訳ではない。経済学者のアマルティア・センは、食料価格が高騰する時は、いつも需要があると見込まれていた場合だったと指摘し、商品先物市場で巨額投機の末の食料危機が発生し、投機家たちが勝ち抜ける、これは食料に限った話ではなく、ソブリン・リスクを含めた現今の金融経済というシステム論に繋がる根因でもある。例えば、著名な経済学者のジェフリー・サックス氏のように、気候変動と遺伝子組み換え作物の必要性に説得力を付与しているという言葉に沿えば、進行形でアメリカの干ばつの果てに実際、何が残るだろうか。気候は不可読なものであり、多面体であり、そこに人類の叡智で対峙できるのか、ポリティカル・コレクトネスの領域にいってしまうのだろう。無論、研究者は研究を進めるための辛苦と補助の中で進み、研究とは外から見るほど、霞を食べる所作ではなく、バジェットや明確な課題に少しずつデータを重ねてゆく作業であるからして、その「評価」が出たときは既に政府でも国際機関でも企業でも援用される。それをトラジェディ方面に使われた研究者は責められるべきなのかどうなのかの再考も要る。その「再考」が半ば放棄されているきらいの風潮も目立つだけに。


 ―食品が食卓に届くまで。その過程は簡単なイメージでは形成されていることだと思う。作物、加工、流通チャネル...。ただ、主/客を考えてみたら、誰が何を作り、何を誰が受け、そのシステムは自動化していないか、ということになる。アグリ・ビジネスも市場の制約下で翻弄されていながらも、競争原理が他の分野よりも固くはない。ゆえに、ルーティンの中で「当たり前」が成り立つ。日本の今年に起きたうなぎの騒動も記憶に新しく、今も続いているが、「当たり前であること」は全く稀少な繋がりで成り立っていた事柄がディスクローズしている。その市場性が食の分野ではとても縄抜けの甘いことをフックしないと、既に起きている事柄を説明し得ない。

 簡単に説明をしておくに、本書は全九章からなる。第一章では、世界の農村の状況に触れ、第二章では、テクニカルな経済分析を入れて、「あなたが、メキシコ人になったら?」という題目に沿い、農村/都市の線を渡る。第三章では、グローバル的なフード・システムの歴史の影をなぞる。この章は歴史が叮嚀に筆致され、特にパースペクティヴが捉えやすい。第四章でのフード・ビジネスの在り方、第五章の化学と農業、原料変化の蜜月への踏み込み、第六章の「大豆」という世界的共通言語であり、作物をモティーフにした多角面からの論考、第七章のスーパーマーケットというモンスターの存在に対して言及するアティチュード、第八章の消費者と食生活操作の問題、第九章のフード・システムの変革可能性への提案、そして、日本語版解説の「日本におけるフードシステム」の佐久間女史のものまで読めば、昨今のFTA、TPPまでの理解の接線を敷けると思う。門外漢の方には難しく感じるところもあるが、「読み物」として捉えれば、途中挟み込まれるグラフや難渋な経済専門用語を越えて、認知できる何かがあると察する。

 フード・システム下でのダーウィニズムも市場は適者が生き残るメカニズムであり、競争に負ければ退走を止むを得ない、そこでのサルヴェージ、延命処置は然るべきものではないという主義が進めば、感じるとおり、今のような食状況は用意されていたことなのか。スケール・メリット(規模の経済)で正当化される合併、メガ・カンパニー。そこから塗り固められる外壁。第七章のスーパーマーケットの歴史の際の、P262からP263に図表7-1として1916年にクラレンス・ソーンダースが食品小売業進出する際による「セルフ・サービング店舗」の特許に添付されたイラストは驚く。在庫管理から商品配列の魅力的な打ち出し、買い物カゴからレジに至る流れ、迷路のようでもあり客サイドの買い物リストと販売員の遣り取りの阻害を描き、現代では販売員やホスピタリティの重要度が高まっているが、軸はお客の「主体」を優先、買い取るような絵図として捉えると考えさせられる。また、ジャスト・イン・タイム、売り切れ商品を出さずに時間論と小売側の駆け引きもより今は高度化している。P302で引用されている文化人類学者のクロード・レヴィ・ストロースの言葉の「食べ物は美味しくいただく前に、熟考に付されるべきものだ。」に近接すれば、彼の10の提言、取り組み、「味覚の変換」、「地産地消」、「生態系維持の食べ方の実践」、「ローカリズム保全支援」など新たに再定義されてきてもいるものの、どうにも響きが綺麗すぎるゆえの現実への呼応はどうなのか、思わざるを得ないのは自身もそのシステム内で舌や栄養を享受してきたからなのもある。なお、今も。

 合わせ鏡のように、現在、システム論的に食について考えることは高度現代社会に生きる己に向き合う行為に「なってしまう」。ただ、思考停止はしたら、そこで終わりなのだと思う。また、ラジ・パテル自身は常にHPにて最新のステイトメントなどを発信している。それも以下に付記するので、併せ、この書のUPDATEDをはかってゆくのは読み手の意識と知性にマップ(仮託)させられる。ラジのHPでの展開を背景に、この書を不世出の旧書と切り捨ててしまうには、あまりに「気付き」の多い要素群があるものとして、2012年の世界の空気感に添うものを想う。

 

(松浦達)

【参考HP】

RAJ PATEL

 

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