スガシカオ「Re:you / 傷口」(Self Released)

SUGA SHIKAO.jpg デカルトからフィヒテまででもいいだろうか、近代哲学での認識論での主体とは客体を捉える自我の枠で、「自分」があることは可能というのがデフォルトだった。しかし、その"デフォルト"というフレーズが当たり前に今や倒れる危機を差すミーニングをも含んでくる現今、身体性の中の「自分」とはいささか野蛮な檻内での囲い込みだという気がする。自分―この私が把握している「客体」とは、絶対ではなく、相対でもなく、対照でしかなくなってくるということで、そこでファンクネスは身体を取り戻すための奪還行為であり、認知資本主義の趨勢における安易な理性批判としたら、このスガシカオの「Re:you」と「傷口」が呈示するものはプログラミングされた簡潔なイメージや二分式での反/正/非を越えるラフさと身体性としての認識主体が客体に及ぶまでの途程で、投げ出してしまう。

 スガシカオの「独立」に関しては、オフィス・オーガスタのHPにおける彼と代表の森川氏の記された言葉を反芻するとして、その後の地道なTwitterやライヴ、Blog、FACEBOOKでの動きを鑑みても、「もう、時間がない」という彼の決死の覚悟は感じられる中、配信オンリーという形でリリースされたこの新曲は原点回帰という言葉だけで片付けられるものではなく、また、同時に完全に新しいスガシカオ像を再写するというものではないが、これまでのスガシカオを知っている人ならば、手触りに独特のぬめりがあるのを感じることだろうし、これからスガシカオというアーティストを知る幸福な(敢えて、書くが)という方にはとても良い毒になることだろう。

 「夜空ノムコウ」の歌詞のイメージ、「Progress」のイメージ、チャートに常連の成功者としての彼は実は特異でもあり、という説明は今さら抜きにしても、ただ、商業主義と作品主義のディレンマが刻印されたのが2011年の『SugarlessⅡ』のどことなく漂う物悲しさと揺らぎ、引き裂かれた印象を結びつけていたのかもしれない。

 デビューしてすぐの関西系の夕暮れどきのローカルのバラエティー番組で場繋ぎのようにチューリップ・ハットを目深に被って、ギターを持って「黄金の月」を歌っていた姿を克明に憶えている僕としては、メジャー・デビュー・シングルのタイトルどおり、その後、鮮やかにヒットチャートをかけぬけてゆく姿にも魅かれた。併せ、サングラスを掛け、佇まいも洒脱さを極め、シティー・ミュージック的な括りでパワー・スピンされ、更には村上春樹氏の著書『意味がなければスイングはない』での彼について触れたテクスト、詩人としての評価、MCの面白さ、ロンドン公演など、多くの尾びれが付いていきながらも、00年での彼の自己評価は低いが、『4Flusher』的な騙しを密かに期待もしていた。平易に言えば、フェスでの「19歳」もライヴでの「Thank You」のダイナミクスも体感しつつ、デビュー・マキシ・シングルの「ヒットチャートをかけぬけろ」の3曲目に意図的みたく収められていた"「ひとりぼっち」の2分以降"を求めていたところはある。静謐で繊細なリリカルな声とギターの絡まりからはじまり、そのままいくかと思えば、2分目以降、一気に罅割れる音風景に叫び声で《君もぼくも とてもとてもひとりぼっち 空も海も 永遠にひとりぼっち 愛の歌も やがてやがて ひとりぼっち》の残響が刻むときの「愛の歌」というフレーズ。

 彼は根底、どういうテーゼに見えても、愛の歌を紡ぐ。彼が徹底的にファンクというジャンル、言葉に拘るのも身体性としての愛的な何かを求めるからだろうし、J-POPという不自由で曖昧なカテゴリーの中で多くのメジャー・アーティストとメディアに出ながらも、ときに道化的な佇まいで、冒頭に書いたようにときに「自分」であることを投げ出す現代的な有り様と、それを受け止める器用さを打ち破るための路への再帰がこの2曲には視える。独立の際の「50歳までに、スガシカオの集大成になるようなアルバムを完成させたい」、との言に沿えば、スライ・アンド・ザ・ファミリーストーン『ライフ』、プリンス『パレード』、岡村靖幸『家庭教師』、はたまた、ディアンジェロ『ヴードゥー』か、などを個人的に夢想してしまうが、こういった新曲が出てくることで少しずつ輪郭は出来てくるのだとも察する。

 なお、「Re:you」のタイトル名は公募し、一万以上もの中から選ばれたものだが、作詞・作曲はもちろん、アレンジメント、全楽器の演奏、プログラミング、エディット、レコーディングまで一人で行なったというのもあり、デモ的な質感も残した疾走感のあるファンク・チューンになっており、個人的に「かわりになってよ」辺りの闇雲な速度を髣髴とさせる。タイトル名に準拠した形での小文字への「you」への返信かどうか、ただそのメールには内容は書かれていない気がするリリックは彼特有の鋭度がある。《夕方から バイトは飲食店で 25時終わり 部屋でネットをひらく 誰かが "もう死ぬね..."って書いたログ 本当に死んだかは どっちでもいいんだけど》という始まりから、《キズひとつない 透きとおった心 ウソっぽくない? それ・・・》というサビに雪崩れ込み、Break Downの咆哮どおり、日常に生きる中での過度な自我へ対してのオルタナティヴな形での「どうでもいい」を恢復させる。"私"が自律文法で成り立っている訳ではない、「他者」との断絶によっての繋がり、コミュニケーションを見出すために、セックスやウソにも向き合い、言い切ってしまう粗雑さまでの閾内で、全部、独りで作り上げたがゆえのいささか歪な籠もったサウンド・ワークが重なり、小文字の「you」へ向けて問いかける。ただ、そこは現代的ツールのTwitterの独り言、Facebookのシェアとは関係性の力学が違う。「私」だらけになった世に、主体/客体の未分化を促すところがあるからでもある。対比しての、ミドル・チューン「傷口」では君と僕の連関の隙間を縫う。しかし、最後の決然としたフレーズが現在の彼、今後の彼をしっかり切り取る。

《あの日の輝きに 保存をかけたとして ひとつも消さずに 未来には たぶん行けない 捨てずに未来にはたぶん行けない》(「傷口」)

 それぞれの抱く「あの日」から時計の針は進んだのだろうか、傷口は癒えたのだろうか。"たぶん"そうではないと思うが、捨てなくても未来はあるのは確かで、その確かさを噛み締めるために一つ一つ傷口に名前を付けていけばいいのかもしれない。何故ならば、名前が付いた傷口ならば、理由(Re:you)は残るからだ。

 

(松浦達)

 

※本作はiTunes Music Storeで配信中

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