DE DE MOUSE「Faraway Girl」(Self Released)

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DEDEMOUSE.jpg 今年、惜しくも亡くなったアメリカの作家のレイ・ブラッドベリの短篇集『スは宇宙のス(原題:S is for Space)』というものがある。デデマウスが颯爽とシーンに出てきたとき、その電子音空間にはストーリーと寓話が浮かんでくるのと同時に、その短篇集に宿る「愛的な何か」を感じた。フリーテンポやスタジオ・アパートメントなどと並べられたセンチメンタルなエレクトロニック・ミュージック、IDMや乙女系ハウスの潮流にも僅かに巻き込まれながらも、2007年の『Tide Of Stars』からオリジナルなスタンスを保ち続けてきた。エキゾチックな旋律、子供の嬌声、ほぼ意味をなさない発語の気持ちいい言葉のカット・アップ、縦横無尽にキャンパスからはみ出すような煌めく電子音とメロディーラインの精度、ジャケットにおける徹底したロマンティシズム、ライヴ・パフォーマンスの鮮やかさ。

 このたび、2010年のサード・アルバム『A Journey To Freedom』から2年、多様なライヴ活動などはしていたものの、新しい音源がこのEPの「Faraway Girl」になる。しかし、リリース形式は変わっている。着実に続けてきたイヴェント《not vol.4》、6月22日からの会場限定発売、更には昨年の末に行ない、評価を得たプラネタリウムでのライヴが今回はツアー形態となり、札幌、新潟、東京で行なわれ、その会場でも手に入れることが出来るというものになっているからだ。つまり、今のところ、全国のレコード・ショップの店頭に置かれる見込みはないEPでありながら、また、配信も公式HPでは「日本国外50ヶ国にて配信決定」(2012年6月20日現在)と展開的なものが見えなくもありながらも、このEPの内容自体は、ストイシズムと彼らしいコンセプチュアルと称することができる6曲が並んでいる。

 ファンタジックというよりも、彼が影響を受けた《Warp》レーベルの幾つかの作品群への愛に満ち、マウス・オン・マーズ的な変拍子と電子粒の揺らぎの中に、声や煌めくシンセから入ってきた上で、一音一音を追う楽しみを喚起させるものと言えるだろうか。1曲目の「Firework Girl」の5分半ほどのサウンドの中にも、多くの音要素が行き交い、リスナーの聴覚を尖らせるような華やかさと、これまでとは少し違う、刺さってくる印象が強い。今回、曲名も示唆深く、「Suburbia Tonight」や「Majestic Boring Day」など、含みが伺えるのも特徴だろう。

 おそらく、既存のファンが求める「Baby's Star Jam」ほどの曲が持つユーフォリアは、このEPではないと言ってもいいかもしれないが、EPとして締まった感覚を付与してくれるのは確かだ。特筆すべきは、試みとしては初めての歌詞が掲載され、唄声が加工されながらも、歌詞がしっかり綴られる6曲目の「Murmur On My Foot」だろうか。淡々としたビートに、まるで銀行のATMや電車、街中のあらゆるところで聞くことができる無機質なコンピューター・ヴォイスに乗り、描かれるもの。その歌詞は何故か、とても切なく、郊外感に沿っている。だから、「faraway girl」であり、現在のアーティスト写真で彼がスイカを持って、麦わら帽子をかぶっているのも「死んだ旧友に会いに行く」というコンセプトと言うだけに、このEPが持つ御彼岸感も分からないでもない。

《焦りも微妙、汗に変わり きっとまたまた元通り ときめく気持ちは忘れてないよ まだまだ平気、大丈夫 それではいつか この場所で 呟く街よ ごきげんよう》
(「murmur on my foot」)

 今作のアートワークを手掛けた漫画/イラストレーターのさべあのまの淡い雰囲気からも伝わってくるのは、デデマウスとしてまた、新しい始まりがあるという感覚でもある。『S Is For Space』―それがこれまでの彼に当てはまっていたとしたら、このEPはプラネタリウムという"作られた宇宙"とデデマウスのリンクの蝶番として機能するのではないだろうか。現場に足を運び、パフォーマンスを満喫し、その後にこのEPに触れたときに彼の意図というものが見えるという文脈で、プラネタリウムでの彼のパフォーマンスの体感を経て、透過できる作品でもあると思う。

(松浦達)

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