DAMON ALBARN『Dr Dee』(Parlophone / EMI)

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DAMON ALBARN.jpg 1990年代半ばのブリット・ポップ・ムーヴメント、"クール・ブリタニア"とは何だったのか、と鑑みると、浮かび上がってくるバンド群、メンズウェア、ジャグアー、エラスティカ、スーパーグラスなどのバンドが「第三の道」を掻い潜りながら、ブランディング戦略の一環と捉えてもいいのだろうが、階級制度がどうにも厄介な場所で、ブラーとオアシスがセールス・パワーで並べられたり、スウェードの頽廃が受容されたり、不思議な時代でもあったのが見えてくる。

 そもそも、ブラー(Blur)、日本語では「曖昧」と訳せるバンドが公園生活(Park Life)をおくることが出来た時代に、まだ余裕のあるポップを視ることが愉しかったのだろうか。「これは、ロウなんだ(This Is A Low)」と云う前に、彼らは『The Great Escape』という作品をして、シーンの渦中からの脱走を試み、精緻に失敗する。その真ん中に居たデーモン・アルバーンというアーティストはシニックながらも、生真面目でピーター・ガブリエルのようで、ときに熱心な実験家の側面があった。だから、ブラーとしては、1997年にアメリカン・インディー・シーンに接近・参照し、シカゴ音響派辺りとリンクしながらも、自らを「Beetlebum(寄生虫)」とのたうちまわり、"Woo-Hoo Song"こと「Song2」で、ついにはUK枠の鎧を抜け、世界的にオルタナティヴなバンド、その中での一人のイコンとしての役割を得ることになるのは皮肉でもあった。

 ギターのグレアム・コクソン、ベースのアレックス・ジェームス、ドラムスのデイヴ・ロワントゥリーの鉄壁たるメンバーに挟まれながら、フレッド・ペリーのポロシャツで叫ぶデーモンの00年代とは、流転とアンテナのシビアさがあちこちに向いた時間になったのは周知かもしれない。2002年に、デーモンはマリへ行き、現地でのレコーディングを試み、相応の成果を得た。西洋から異郷への架け橋にバイアスが掛かるのは言わずもがなだが、まるで、デヴィッド・バーン、ポール・サイモンみたく、彼はその橋を渡り、更にはヴァーチャルでありながらも、記名的かつ匿名的にワールドワイドに受容されたゴリラズでのジェイミー・ヒューレットとの絡み。スクリーン越しに影は見えても、本人が居なくても「在る」という今の時代を見越したようなプロジェクトは世界中で喝采を受けたのも大きかった。「設定」の幅でこそ、決められるエンターテインメント。

 デーモンという多感で可塑的なアーティストは、そういったことを周到に計算できる一人だった。僕も行ったが、2008年のUKのハイド・パークでのリユニオン(まさに、「Park Life」が生まれた公園)のライヴでのブラー名義でのデーモンは、盤石にブラーのメンバーを描いてみせた。しかも、セカンドの『Modern Life Is Rubbish』からの曲を多めに。ふと、後期の「Tender」でのゴスペル・ソングでのシンガロングも入れながらも、冷静なジャッジのパフォーマンスで、アンコール・ラストの漆黒の夜空に消えた「The Universal」まで彼らなりの島国(UK)から国境を越えて、せめて世界へと届くように、そんな切実も見えた。目の下の隈と少し肥り気味のグレアム、アレックスの煙草、相変わらず伊達な佇まい、デイヴの朴訥といい、デーモンはその中でも過去の青さより自らの加齢に向き合い、軽やかなブリット・ポップの季節の唄をなぞっていた。

 ブラーとしては、今年、2012年の8月12日にハイド・パークにてロンドン五輪での閉会行事でのヘッドライナーとしてのギグが決まっている。そんな中、デーモンの個人名義で2011年に初演されたオペラである『Dr Dee』に応じたサウンド・テーマに収斂した作品が上梓された。

 あくまで「英国」をベースに、16世紀のエリザベス1世の顧問、学者、魔術師であるジョン・ディー博士の生涯自体をモティーフにしたもので、決して華やかな作品ではない。デーモンの異国趣味は今に始まったことではなく、トニー・アレンと組みつつ、2011年のDRCミュージックなど挙げるまでもなく、幅広い動きを見せているが、この作品も18曲内で幾つもの横顔を見せる。

 壮大なオーケストレーション、彼の程好く枯れた声がしみじみと響きながらも、サイモン・アンド・ガーファンクルのような叙情をもたらす2曲目の「Apple Carts」、バロック音楽の深みからオペラに相応しい曲、5曲目の「A Man Of England」のタイトルに伺える、劇内で映えそうなものまで、贅沢な振れ幅には唸らされるのとともに、彼の名前が付いていなければ、おそらく「現代音楽」の棚に置かれるのであろう優雅な風情を持った内容に着地している。デーモンというアーティストが脈々と繋がるクラシカルな音楽の歴史に対峙したとしては興味深く、ポスト・クラシカル系のアーティストが仄かに身体機能性へシフトする中、彼は自分自身の屋号とは別に大文字の「オペラ」への距離感を保つことで、古典への降下を試したといえる。

 つまり、『Dr Dee』でのデーモンは現代音楽家としての彼であり、余計な尾びれやバイアスは要らないのだと思う。ポストもなく、クラシカルで真面目な作品が今、ドロップされたというのは面白い。曖昧(Blur)の中でもがいていた彼は今、一つの軸を置いた。

 

(松浦達)

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