SHACKLETON『Music For The Quiet Hour / The Drawbar Organ EPs』(Woe To The Septic Heart)

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Shackleton.jpg 結論から言うと本作は、デヴィッド・ボウイ『Low』である。ボウイが『Low』で描いたヨーロピアン的世界観は今尚その影響力を発揮しているが、そのヨーロピアン的世界観を支えているのは、『Young Americans』から顕著だった黒人化を果たしたリズムである。こうした両面性は、クラフトワークやカンといったゲルマン・ミュージックに当時のボウイが影響を受けていたことによるものだが、そんな『Low』からは、"西欧人による西欧的な本質的表現"という意味で"オクシデンタリズム"と呼ぶべき思想の蹂躙性を感じとれるし、その蹂躙性に通じるものが、2枚組となった本作にはある。

 まず『Music For The Quiet Hour』は、全5曲が収録された組曲形式の作品となっている。暗黒の電子音によるエクスペリメンタルなアンビエントは、スロッビング・グリッスルと『Breaking The Frame』におけるサージョンを掛け合わせたような、不気味でドープな雰囲気を生みだしている。しかし「Music For The Quiet Hour Part 2」以降は、お得意のトライバル・パーカションに不穏なヴォイス・サンプルも登場するなど、シャックルトン節が炸裂する。シャックルトンは影響を受けた音楽にカンといったクラウトロック系のバンドを挙げているが、クラウトロックのゲシュタルト崩壊的快楽は、『Music For The Quiet Hour』において重要な要素だと思う。そういった意味で『Music For The Quiet Hour』は、シャックルトン流クラウトロックとも解釈できるだろう。

 そして『The Drawbar Organ EPs』は、3枚に分けてリリースされたEPをひとつのアルバムとしてまとめたものだ。統一的な『Music For The Quiet Hour』とは違い、『The Drawbar Organ EPs』は雑食的な作品だが、散漫になっていないのはさすがといったところ。『Music For The Quiet Hour』では"度々"登場するガムランの旋律やアフリカン・ビートも、『The Drawbar Organ EPs』では"頻繁"に登場し、シャックルトンにしては比較的フロア仕様のトラックが収録されている。そんな『The Drawbar Organ EPs』は、カットアップ的手法で作られた横断的アルバムだと言えるが、インタビューでも自身が認めているように、シャックルトンの辺境音楽に対する造詣は深くない。辺境音楽の音そのものに興味はあっても、歴史や伝統には無頓着だし、それは本作に歴史や伝統をふまえた表現が見受けられない点からも容易に察しがつく。

 先に筆者は、『Low』における"オクシデンタリズム"の蹂躙性に通じるものが本作にはあると書いた。だがボウイは、彼なりのルーツといったものにこだわりを持ち、『Pin Ups』では自らのルーツを再確認、『Young Americans』ではアメリカに乗りこんでレコーディングするなどし、その追求は『Let's Dance』に繋がるわけだが、その過程でボウイは蹂躙性を捨て去ってしまった。一方のシャックルトンは、ボウイが捨て去った蹂躙性を引き継ぎ、己の音楽的探究心と欲望に身を任せたような音楽を鳴らしている。その音楽は、ニコラス・ジャーに言わせれば「それって現代の植民地主義なんじゃないかな?」(ガーディアンのインタビューにおける発言)となるのかもしれないが、シャックルトンの蹂躙性は、ポスト・インターネット世代が持つ良い意味での軽薄さと共通するものであり、そういった意味で本作は、ダブステップ・コーナーの片隅ではなく、グライムスやトリルウェイヴ勢の作品と一緒に並べられてもおかしくないし、それだけの同時代性がある。

 

(近藤真弥)

 

 

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