HERAJIKA『Herajika』(Babyboom)

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HERAJIKA.jpg 都内を拠点に活動する男性2人女性3人からなるロック・バンド、ヘラジカが鳴らす音はいつだって澄んでいる。穏やかなシンセと可愛らしいトイ・ピアノ、メロディアスなベースと力強いが気張りのないドラムがミシンの歌声とたわむれながら聴き手を音遊びに誘ってくる。素敵なのに気取っていない。軽やかだけれど地に足はついている。子供たちのにぎやかに土を踏む音が聞こえてきそうだ。

 「歌詞にメッセージ性を含めない」「純粋に気持ちのいい音を鳴らしたい」とメンバーが言うように、音楽を音楽以上のものにしないという意思がある。それは、山本精一や大友良英らの諸作も手掛けたエンジニア、近藤祥昭を迎えたファースト・アルバムとなる本作『Herajika』に言えるのはもちろん、試作品という位置付けだった2枚のシングル(「Herajika Test 01」「Herajika Test 02」)からも伝わってくる。試作品であっても過剰に実験的にせず、ポップ感を忘れない姿勢は彼らが鳴らす音と同様、背伸びをしないメンバーの人間性をも伝えるのだ。

 多くの音色を添い合わせた本作は色彩豊か。油絵具やクレヨンで描いた音世界というより、色鉛筆で描いたような繊細さがある。ジム・オルーク「Halfway To A Threeway」のように丸みを帯びた音と角の無いメロディ、細野晴臣&イエロー・マジック・バンド『はらいそ』をシンプルにほぐしたようなサウンドの数々。熱心なリスナーでもあるフロント・マンのミシンによると、ジム・オルークや細野晴臣のみならず、スーパー・ファーリー・アニマルズやブラー、スピッツ、スティーヴ・マルクマスなどからの影響もあるとのこと。瞬間的にベースがストーン・ローゼズのマニのようだったり、ドラムがアート・ブレイキーのようだったりもするが、しかし、知識に頼った音や他のバンドと審美眼やセンスを競い合う音はない。それは個々のメンバーのこれまでの音楽体験から生まれたアイデアの集合が、ヘラジカの音楽を構成する重要な要素だからだと思う。

 デビュー当時、彼らはトクマルシューゴと比べられることが多かった(僕も比べたけれど...)。しかし不協和音を混ぜるヘラジカの音楽は危うさを持っている。それはしばし奇妙に聴こえ、音数の増減で曲に緩急を与えるトクマル的な技巧とは無縁に思える。ヘラジカは特別技巧に長けたバンドではないのだが、メンバーの頭の中で鳴っている世界観を表現できた。彼らは和音と不協和音の隙間に哀感と笑顔の温かさが見える"ヘラジカの音"を鳴らす術は他の誰よりも優れている。いわばダニエル・ジョンストンのように、存在そのものがコンセプトとしてヘラジカは僕らの前に現れる。

 彼らはどこかから音を苦労して見付け、鳴らすのではなく、ひょいと、身近にある音を拾い、心地の良い音にしてしまう。コーラスとハンド・クラップが印象的な「Reverse」はまさにそう。ノイジーなギター・サウンドも交えているこの曲は、ヘラジカの特徴である予測できない音が次々とチャーミングな面持ちで飛び出でてくる素晴らしい楽曲(ライヴだとさらにすごい)。ワルツ風の「ハリケーン」もペイヴメントに通じるざらついた質感をベースとギターが醸し出すことで、時としてラ・セラを思わせるユウコのヴォーカルを際立たせているし、ヒップホップ的な「Clay」ではミシンの声を神秘的に加工し、女性コーラスと、これまた加工したかけ声との掛け合いのサイケデリック感が聴き手をトリップさせる。そして訪れる高揚を宿したディストーション・サウンド。引き算の空間美と足し算の高揚。静謐さと獰猛さの同居。ファズやわずかな残響音からも音に対するこだわりが見えた。だが音はこだわりに縛られず、実に素直に鳴っている。ヘラジカはアイデアを無造作に聴き手に投げつけない。理知的に整頓できるバンドなのだ。こうした音楽性は彼らが聴き手をリスペクトしていることと共に、マルチ・プレイヤーが多いということもあるかもしれない(サエはさながらグレアム・コクソンのよう)。車窓を眺めているように景色が移り変わる本作だけれど、移り変わりは滑らかだ。

 制作過程で難航したところもあったようだが、おそらくハーモニーに関して難航したのではないだろうか。綺麗にまとめるのか。それともファズを強調するのか。結果的に両者が混じり合い、分かち合った作品に仕上がった。「音楽の好みは人それぞれ」とはよく言われる。しかし本作にはメンバー個々の音が手を握り合い、「人それぞれ」の音は鳴っていない。ふらふらと香りに導かれるように聴き手とすれ違わないものとしても本作はあり、図らずともタヒチ80のように清々しく誰もが分かち合えるサウンドに満ちている。そこには誤解を理解という共有に発展させることはとても尊く、楽しいという心地を聴き手に浮かばせるものがあり、なにより「人それぞれ」が終着点ではなく、「人それぞれ」が出発点としてあり、だからこそ分かち合おうと、この作品を聴いた後は言いたくなるものがある。

 2月4日、ヘラジカのライヴの帰り道に、彼らが鳴らしているのは派手なネオン・サインとは対極の音だと思った。聴き手を孤立させる音がないのだ。豆電球のような暖かさがある本作は、僕らを照らしながらとてもやさしく人と人とを結ぶだろう。僕はそれがユートピアだとは思わない。

 

(田中喬史)

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