安藤裕子『勘違い』(Cutting Edge)

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YUKO ANDO.jpg  《ねえ 甘い未来を 君に見せてあげる》(「鬼」)

 1年半振りにして6枚目のオリジナル・アルバム。タイトル名の『勘違い』というのがまずは興味深い。ネーミングの意図は違えども、現代におけるフェミニスト主体論やノマドロジーの中で幾つも分割される「女性」的アイデンティティに対しての再配分の理論を対象化し、可動性とアンバランス(不安定、生物的躍動に依拠する)を逆手に取って、ブラウンミラーが言った「men's house culture」を掻き分ける非服従と男性属性が持つ女性性にときに孕むイメージや幻想に対しての違和への補助線を指すかのようである。ダブル・スタンダードとしてのジェンダー、母性への接線沿いの明瞭な多様性に捧げた文脈として、安藤裕子というアーティストの来し方が保っていたホメオスタシスを自身が蹴破る推進力に満ちたものになってもいるが、これまで通りの彼女の声が伸びやかに且つ繊細なメロディーに包まれるバラッドや涼やかで弾むポップスも含まれているので、巷間で飛び交っている"アバンギャルド"や"今までで一番ロック色の強い"という冠詞を課すほどの驚きはないと個人的に思う。

 しかし、例えば、「のうぜんかつら(リプライズ)」、『The Best '03~'09』辺りから入ったリスナーたちには僅かな戸惑いをもたらすところはあるのも事実だろう。それは、以前に書いたシングルの「輝かしき日々」の時点でふと見えたアグレッシヴな攻めの獰猛性をして、彼女の新しい側面の発見があった人たちの想像の先にも立脚するともいえるからだ。

 このアルバムの制作にあたっては、艱難を極めたという。2011年の大震災、親愛なる祖母の死、出産といった公私ともに大きな出来事を経たからか、纏まりや構成という意味では過去の作品群よりは欠けているものの、神秘やホーリーなものから着実に服を脱いだ裸の生命力の強さと痛みが通底している。

  《騙せるように言葉を研ぎ澄まして / 服を脱いでここでちょっと待ちましょうか?》(「エルロイ」)

 アルバムのリード曲の「鬼」、そのPVを彩る彼女の舞いでもそうだったが、歌詞や世界観も少しばかり攻撃的且つ動的要素が見え隠れし、ビートやリズムもこれまで以上に複雑なものが増え、コーラス・ワークとボーカリゼーションも感情の起伏をそのまま顕すかのように、エモーショナルにアップダウンする曲も目立つ。そこに、ベニー・シングスが関わったピアノの穏やかさから楽しく弾ける展開のライヴで映えそうな「すずむし」や2010年のオリジナル・アルバム『Japanese Pop』の流れを汲むだろう流麗なシティー・ポップスの「アフリカの夜」や出産後に作られたという2曲(もう1曲は、「鬼」)の内の、生まれた娘に捧げたという優しさが胸を打つ「お誕生日の夜に」といった曲が立体的にアルバムの全体像を持ち上げるが、何故か、もの悲しさと慈しみも聴後に残る。

 それは、11曲の中でも「勘違い」から「輝かしき日々」の前半の動性と、後半を締める「永すぎた日向で」からの静謐な流れの傾ぎ、ラストを飾る不思議な途程感を持つ「鬼」を含め、奇妙な不安定な感情の揺蕩いがそのまま影響しているからなのだろうか。ルー・リードの1972年の『Transformer』に収録されている極北的な美しい曲「Perfect Day」にインスパイアされたという重さが残る「永すぎた日向で」には魅惑もされるが、通奏としてのChara、aiko、YUKIなどの確固たるポジションを持った日本のフィメール・アーティストのアティチュードではない形で、いささかイロニカルな言い回しになるが、彼女自身がインタビューで自身について時折、言及することから考えると、女性としての何らかの欠落、コンプレックスを踏まえながらも、"より生々しい女性(以前に書いた、「女の子」ではなく)に近接した"要素がそう想わせる気もする。そういう意味では、「輝かしき日々」の次元からは一つ、階段を昇った感触があり、そして、やはり、出産を経て、我が子に紡がれた曲に宿る、礼装のイノセンスが凝縮された「お誕生日の夜に」がしみじみと美しく響くのも道理なのかもしれない。

  《息を吹きかけ 願い事ただ一つ唱えて 君が生まれた素敵なこの夜を祝おう》(「お誕生日の夜に」)

 いささかスキゾで静 / 動を往来する間に彼女の凪ぎと野方図な感情に裂かれた希いをJ-POPの縁に引っ掛けて、その内側で更にオルタナティヴなステップに彼女が踏み込んだ大事な証左を示す作品になったと思う。これからの思い出せる明日の続きに、愉しみが募る。

《過ぎて行く時の狭間にも 捨て去った想いがあると知っていたから / 決して何も追わない 出会う明日のため思い出すだけ》(「飛翔」)

 

(松浦達)

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