田中茉裕「小さなリンジー」(Avocado)

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小さなリンジー.jpg 初めて音楽の素晴らしさに気持ちが震えた時のように、「小さなリンジー」には、初めて出会う歌がある。本作を聴けば、あらためて初めて歌に魅了された時の、あの気持ちの震えがよみがえる。生まれたばかりの歌と形容したくなる彼女の歌声は聴き手の気持ちのざらついた部分に真っすぐ触れてくるのだ。

 2010年、EMI Music Japan 50周年記念オーデションをきっかけに、話題となった都内を中心に活動するSSW、田中茉裕。彼女のファースト・ミニ・アルバム「小さなリンジー」が素晴らしい。全5曲。作詞作曲、編曲は全て彼女自身によるもの。レコーディング、ミックス、マスタリングを手掛けた高橋健太郎氏が「これまでのどんな系譜にも属さないものを感じる」とコメントしているように、矢野顕子のようで全く違う。平賀さち枝でも青葉市子でもない。そんな田中茉裕の歌声は揺らぎがあり、哀感があり、躍動があり、無垢な荒さもある。6歳から習い始めたというピアノの調べは美しく、リズミカルでもあり、曲の展開に合わせたタッチの強弱が絶妙だ。スリリングな表情も見せ、歌声と相まって瞬時に引き込まれる。

 影響を受けたのはクラシック音楽全般、マクフライ、YUI、スーパーフライ、ビートルズ、クイーン、中島みゆき、グリーン・デイとのこと。確かにメロディに関してはYUIや中島みゆきに通じるところはあるし、田中茉裕の揺らぎのある歌声は中島みゆきのトーンを高くしたかのよう。音楽的バックグラウンドは決して広いわけではないのかもしれないが、その分、集中を一点に込めた声とピアノが眩しく輝いている。彼女は歌声で透明度の高い地下水脈に似た美を醸し出し、激流をも醸しだす。しかしそれは季節が移り変わるほど自然に変化し、聴き手の情緒を揺さぶるのだ。

 ジャケットは彼女自身によるもの。季節で言えば春なのだろう。これから何かが始まる季節だ。《とにかく笑って、頑張ってみよう》《やりたい事をすればいいよ/一歩踏み出せるなんてすごい事だよ/だからこそ進み続けて/出来る限り拾っていこう》。そして、頻繁に歌われる《Everything's all right.》。そう、彼女の春はもう始まっている。

 ピアノと歌だけのシンプルな本作は、自分から過剰な自我も知識も何もかも剥ぎ取った時に一体何が表現できるのか、ということを見詰めているようだ。それは僕らへの問いかけのようにも聴こえる。

 

(田中喬史)

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