平賀さち枝「23歳」(Kiti)

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HIRAGA SCHIE.jpg 一口に「共感を得る」と言っても、いくつか種類がある。一般論を口にすれば共感は得られるのだろう。逆に、誰も気付いていないが聴き手の深層にある心理を口にすることで他者の心理をすくい上げることも共感を得ることに繋がる。ファースト・アルバム『さっちゃん』を経て発表された、SSW平賀さち枝の6曲入りのミニ・アルバム「23歳」はまさに後者で、共感がキー・ワードでもあるのだ。

 シンプルにギターを弾きながら、あどけない声で自らの心情を辺りの空気に溶け込ませるように歌う彼女の姿には気負いがなく、窓から外を眺めながら歌を口ずさんでいるようでもある。その等身大の姿が目に浮かび、平賀さち枝は過剰なアーティスト気質を持っているのではなく、聴き手という立場から音楽を奏でているのだろう。だからして彼女の歌は聴き手である僕らの気持ちにすらりと収まり、リンクする。軽やかなピアノ。雄大なベース。刺の無いメロディ。それらが本作をただのフォーク・ミュージックだと言わせないかのように鳴っている。そして歌詞を読めば、彼女に見えている風景は僕らにも見えている風景であることに気付く。しかし平賀さち枝は心情と風景を細部まで描写する。そこには僕らが今まで気付かなかった、生活の中のちいさな幸せが含まれていて、思わず微笑んでしまうだろう。

 そんな、ちいさな幸せに共感する。本作にはどこかの政治家が言った「死ぬ気になれば何でもできる」「夢を諦めるな」という掛け声だけの言葉よりもずっと勇気づけられるものがあるのだ。それゆえ、彼女のフォーク・ソングには普遍性が宿っている。

 本作のラストには「パレード」という曲が収録されているが、ここで言うパレードとは仰々しいものではない。音楽に憧れて岩手県から上京した平賀さち枝にとって、東京の街を歩く人々はさながらパレードのように見えたのだろう。中ジャケにはそれを暗示するような写真がある。私事だからといって恐縮はしないけれど、田舎から上京してきた僕は彼女が見た東京に対する思いに共感させられてしまったのだった。きっとそう感じるのは僕だけではないはず。

 ショピンやグッドラックヘイワのメンバーが参加した本作にはジャズの要素が含まれている。しかし、平賀さち枝には彼女が持つあどけなさとは裏腹に、どのような音楽性であっても歌声を華麗に聴かせる力がある。そういったところに共感を超えて、憧れすら抱いてしまう。だが、僕らは憧れている場合ではないのかもしれない。聴くたびに、都市の中で彼女のように自分の歩調を失うことなく生きなければならないという思いが音楽を通して浮かんでくる。その意味で、本作には強さがひっそりと存在する。そこにまた、共感と同時に勇気をもらえる。

 

(田中喬史)

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