VARIOUS ARTISTS『Cuz Me Pain Compilation ♯2』(Cuz Me Pain)

|

Cuz Me Pain Compilation ♯2.jpg "言葉は生き物"とはよく言ったもので、言葉に含まれる意味は時が経つにつれ増えていくものだ。そして、いまふたたび盛りあがりをみせる"インディー"にも、またひとつ意味が加わったのではないか? 近年のインディー・ミュージックを聴いていると、そう思えてくる。

 『Cuz Me Pain Compilation ♯2』は、東京発のレーベル《Cuz Me Pain》のコンピレーション第2弾である。第1弾がインディー・ファンの間で大きな反響を呼び、グローバルな支持を得て一躍注目レーベルに躍り出たが、本作はその勢いをさらに加速させるようなものとなっている。もはやデフォになりつつあるチルウェイヴ以降の音像はもちろんのこと、ハウスやポスト・パンク、さらにはディスコにアンビエントなどが、自由な好奇心のもと美しく溶け合っている。

 だが本作には、"インディー・ミュージック"と呼ぶことに違和感を覚える曲もある。そのひとつが、Naliza Moo("ナリザ・ムー"と読むのだろうか?)による「Jealous Hearts」だ。この曲、ラリー・ハードが昨今のニュー・ディスコ / バレアリックを鳴らしたような、紛れもないハウスである。ラリー・ハードは説明不要のハウス・レジェンドであるが、ラリー・ハードの音楽を"インディー"と呼ぶ人はまずいないと思う。しかし、多くの人は「Jealous Hearts」を"インディー"と呼んでいる。おそらくこの違いが、"インディー"の今を表しているのではないだろうか。

 かつて"インディー"は、メジャーに対するオルタナティヴであったり、メインストリームに馴染めない者たちの場という謂わばアティチュード的意味合いが強かった。そんな"インディー"に聴き手は夢や希望を見いだしていたのかもしれないが、こうしたイノセンスは、90年代を通じて"インディー"が細分化し内省に向かう過程のなかで、徐々に失われていった。もちろん良質なバンドは出てきたし、それを愛するリスナーもいなくなったわけではないが、"インディー"という箱庭に収まらない強烈なインパクトを生みだすことは少なくなった。

 しかしいま、そのインパクトが蘇りつつある。もはや"インディーとメジャー"という二項対立は無きに等しく、"アティチュードとしてのインディー"が形骸化した焼野原から、"新たなインディー"が生まれつつある。その"新たなインディー"とは、"遊び場"である。歴史や文脈から解き放たれた音楽が集まり、自由奔放に交わる"遊び場"。聴き手からすれば、新鮮な興奮を与えてくれる音楽の宝庫であり、作り手からすれば、自らの音楽的好奇心を満たしてくれる場所。これが"新たなインディー"であり、音楽の未来ではないか。本作には、そう思わせてくれるだけの興奮がある。

 

(近藤真弥)

 

retweet