TETA『Fototse Racines Roots』(Buda Musique)

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Teta『Fototse Racines Roots』.jpg ジョン・ケージは、過去に「Inside Of Sounds」ということを言っていた。この言葉が含む意味とは、推し量るに、精神論ではなく、音を構成する素粒子とでもいおうか、そういった運動体を捉え、表層の楽音の範囲だけで判断していないか、ということであり、そこには本質的な人間の音楽への対峙の仕方を促す。つまり、未分している音楽の先に在るだろう景色が(聴取者に)聴かれることで、抽象は具体に内部化され、内部化された後に、自由が運ばれるともいえる。今はその手の自由が内部化されているという倒錯も起きているが、内部化された"それ"は実は名称付けされない不確定なものでもある気がする。名称化したことで、自由は非・自由との駆け引きを余儀なくされるからだ。「音楽に国境はない」と言っても、そう悠長な時代でもないのも道理なのかもしれない。

  さて、アフリカと南アジアの混ざり合う場所、マダガスカル島。その島の南西部にあたるチュレアール地方における独自のトラディナル・ミュージックのツァピック(Tsapiky)を現代風に解釈して届けようとしている動きが出ているのは知っている人たちは居るかもしれない。ツァピックとは、マロヴァニー(長方形の箱型撥弦楽器)、マンダリニー(3弦ギター)、アコーディオン、ジェジョラヴァ(弓)などの伝統楽器をベースにしたものだが、例えば、今、話題にもなっている5人組バンドのDamilyのサウンドには、伝統楽器を用いながらも、アーバンなムードと重厚なグルーヴを表象しており、あまり馴染みがなかったであろう、ツァピックの祭祀性をモダナイズし、基本的にインヴィジブル・レリックともいえた伝統音楽を世界へと具象化せしめた。

  この度、ツァピックをモダナイズしたアーティストの一人、クロード・テタの作品がグローバル・リリースされたことは大きい。マダガスカルでは既に名前の知られたベテランでもあり、数々のライヴを行ない、現地では多くの作品も出している。テタは1967年生まれ、幼少時から祭祀事で演奏したり、8歳にはマンドリンを習得し始め、その弦の捌きと巧みな音のモティーフの発想から多くの人たちの支持を得ており、早々とプロ活動を始め、1988年からはバンドを組み、バンドとしても精力的に活動していたが、2007年からソロへ転向してからは音楽への探求心がより深くなる。ソロになってからは、ツァピックをあくまで「主軸」に置きながら、ブルーズ、ジャズなどの音楽語彙を取り入れ、より音に含まれる伝統と現代の間の機微を繊細に描写していくことになり、今回のグローバル・リリースとなる『Fototse』でも、ブレはない(なお、マダガスカル現地では既にソロ作は数作出ているので今作を聴いて、気に入った方はチェックしてみて欲しいと思う)。

 ここでのテタは、生ギターだけ一本を用い、弾き語り、歌い、叫び、ときにハミングする。添える程度にパーカッションやコーラスは入るが、基本は前述したツァピックの伝統楽器は用いられることはない。ギターはツァピックの基本スタイルといえるトゥー・フィンガーだが、もっと現代的なコード、フレーズが用いられているところが目立つ。レコーディング場所は、マダガスカルの海沿いのアンツェポカの海の家(ジャケットが録音場所になる)で行なわれているのもあり、時折、波の音も自然と入っており、自然な音割れもあり、同時に録音場所の家に流れるラフな空気感も加わっている。

 まるで風が流れるように、どういった指捌きをしているのか、と思うほどのギターを自在に操る様を追いかけているだけでも、興味深い。2曲目の「Tsakorarake」では、ブルーズをモティーフに、彼のフィジカルな雄叫びや声が乗り、6曲目の「Veloma aminao」はふとボサ・ノーヴァを思わせるような美しいギターの響きに彼の軽やかな声が清んだムードを運ぶ。9曲目の「Mifona」には鼻歌のように泳ぐようにギターと声を合わせ、女声コーラスがそれに一層の華を加え、12曲目の「Ze mahery managnaze」でのアコーディオンとギター、パーカッションの性急なアンサンブルがグルーヴィーな昂揚をもたらす。各曲、骨組みはシンプルながらも、色の違う曲が収められていて、テタの野太くも味わいのある声と生ギターの遊泳だけでも、十二分に伝わる何かがある。ちなみに、ギターリストという面でいえば、マダガスカル島に絞れば、デ・ガリにも近接する部分も少しはある。

 そこに、楽器と人が居れば、自然と音楽は生まれる。日本からは映像越しにしか分からない遠国の音楽や文化があっても、こうして身近に感じることが出来るようになったのは喜ばしいことだとも思う。色んな場所で、色んなアーティストが、色んな伝統を重んじて、それぞれの解釈や想いで音楽を鳴らし、その音楽は確実に伝播していき、少なからず、様々な人たちの気持ちを揺り動かし、ときにカームさせる。

 今作は、国境など越えて、各々の自由な判断動因の補助線を敷くものになっていると思う。

 

(松浦達)

 

 

 

 

 

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