夜夜『曲芸』(Octave Soul / Pastel Music)

|

夜夜.jpg 韓国音楽と言っても、最近でも、チャン・ギハと顔たちや4枚目となるアルバムをリリースした韓国版のベル・アンド・セバスチャンとも言われるネオアコ的な香りと繊細なサウンド・ワークが美しい男女二人組ユニットの小規模アカシアバンド(Sogyumo Acacia Band)といい、巷間のいわゆる、"K-POP"とは違う形で、独自のコリアン・ポップスに向き合うアーティストが増えてもきている。しかも、面白いのは決して舶来のロック/ポップスだけを参照にしている訳ではなく、自文化のトロット(韓国演歌)への配慮もあったりもするというのが頼もしい。そんな中、非常に面白いデュオが出てきた。まだ、2010年7月に初ステージを踏んだばかりというので、新進だが、既に早耳のリスナーや韓国での注目度も高まっていきている夜夜(Yaya)。日本でいうEgo-Wrappin'に近いバイタルなムードを持ちながら、エキゾチックなデュオ名そのものの夜の舞踏会的な情緒に合う音世界は、猥雑でありながらも、生命力に充溢している。メンバーは、感情豊かな多彩な声を使い分ける女性ボーカリストのAya、男性ドラマーのSiya。このファースト・アルバム『曲芸』は、さらにコ・サンジ、キム・インスなどのゲストを招いて作ったためか、コ・サンジの影響からはバンドネオン、タンゴのエッセンスが、キム・インスからはワールド・ミュージック、ロックへ目配せもあるのだろうか、幅広い音楽語彙に富んだ内容になっている。

 PVでも話題になった、韓国の歴史と密接に関わる白仮面を被り、風車を前に演奏し、カットの中でダンサーが鮮やかに演舞する8曲目の「嵐のように、花火のように、」では、アコーディオンの響きが官能的な残像を残しながらも、AYAのときにドスのきいた声が耳に残るタンゴをモティーフにしたポップな着地を見出し、4曲目の「Damper」ではジャジーな横顔を見せるなど、全体を通じて凝ったサウンド・ワークとロック、シャンソンやエレクトロニクスを混ぜ合わせ、アコーディオンのみならず、バイオリン、コントラバス、トランペット、サックス等の楽器が爆ぜた結果のサーカス的でキャバレー音楽のような逞しさの側面も持つ。

 だが、彼らをして称されることがある「キャバレー音楽的」とは、今の時代でどういった意味を持つのか、疑問も起こる人たちも多いかもしれない。もはや、バーなりもう少しソフィスティケイテッドされた場所で歌われる音楽、流れるBGMこそが是なのか、と言うと、個人的には違うと思う。日本に昨今、急速に増えたスペイン型式居酒屋のバルでもそうだが、フラットに日々の生活から(今は幻想に近付きつつあるのかもしれないが、)記号としてのミラーボールが煌めき、夜の馨りのする一歩だけ生活から離れた、地続きの憩いの場所として、アルコール、シガレッツなどとこうした夜夜のバンドの生演奏で陶然とするというのもいいのではないか、と願いもするからだ。文化の均質化と遊びが足りない方向へと進む世界の各地でもまだまだ隠れ家のように、仕事帰りの寄り道に、そういった憩いや場は残っている。となると、架空のキャバレー音楽やミュージカル的コンセプチュル性どうこうに目配せするよりも、この音源から滲み出てくる蠱惑性と気怠さと獰猛な勢いを感じるのがまずは正しい気がする。ライヴ映像を観ても、Ayaの巻き舌からときにシャンソン風に歌い、ドレスを纏い、華のある魅せる形のパフォーマンスといい、これからますます、活躍の場を拡げていくのではないだろうか。如何せん、若さゆえの荒削りな部分も多いが、それだけに現場(ライヴ)で鍛えられることにより、更に大きくなる可能性はある。"K-POP"と呼ばれるカテゴリーが決して"何もかも"を指さないように、夜夜は、生命力の溢れる音楽を韓国から世界に向けて、発信しようとしている。

 こういう音楽は懐古主義(ノスタルジア)でもなく、作為的でもなく、おそらく、若い世代の中で想うリアリティの一つの反映でもあるのだろう。紛いもののようで、本物とは何なのか、混沌たる時代に風穴を空ける存在として期待するとともに、アルバム・タイトルの『曲芸』に沿って、軽やかに世を渡っていって欲しい。

 

(松浦達)

retweet