LILLIES AND REMAINS『Re/composition』(Fifty One)

|

LILLIES AND REMAINS.jpg 「―ドラマとは、はじまりがあって中があって終わりがある一つの事件を模倣するのだという。主人公のアクションがはじまり、対話が発展して急転と発見が起こり、主人公は新しいう運命にゆだねられる。こういう構造になっています。これを、アクションが起こりかけたら起こらないことを選ぶ、または起こりかけたら起こらないほうを選ぶというふうにぜんぶひっくり返していくと、『ゴドー』の構造になる。」(木田元・竹内敏晴著『待つしかない、か』:春風社)

 「待っている」という無行動ではない、<反>行動の道程、ドラマの構造を内側から抜けてきての再帰。ゴシックな麗しい馨りを纏い、地下の暗がりを潜航するポスト・パンク、ニューウェーヴの音を寡黙且つスタイリッシュに鳴らしていた時期から、ニュー・ロマンティックスの色が含まれ、少しの華やかさとアブラハム・マズローのトランスパーソナル心理学から影響を受けたリリックを合わせて、現代の反マテリアリズムへと明確に舵を取ったセカンド・アルバムの『Transpersonal』からほぼ一年の歳月が経ち、その間には災害など世の趨勢が劇的に変わりながらも、ライヴ・ツアーは昨年の5月の最終日の代官山UNITでのLEO今井を招聘し、過去曲も併せて良い形での拡がりと帰着を巷間に示したが、その後の彼らは新曲といえば、STYLE BAND TOKYOのコンピレーションに提供した「Typical Me」、「Passing Me」の二曲のみで、双方ともラフ・デザインのような荒さがある曲で彼らの真骨頂とは言い辛かった。また、都度、連絡は交わしていたフロントマンのKENT自身もこれから書いていこうとする曲には悩んでいる様子が如実に伺えたのは分かった。そして、昨年9月にドラマーのKOSUKEの脱退と、京都から東京に拠点を移してから、模索しながらもメンバーが固定しつつあったバンドにまた「転機」がある出来事が起きつつあり、今年、2012年に入ってからは彼らの主催イヴェントの"MOTORAMA"を決行し、DE DE MOUSEを呼ぶなど、新たなフェイズに入った感もある中、届いたニュー・マテリアルは意外なことにカバー・アルバムである。

 タイトルは、『Re/composition』。

 クラフトワークのようなバンドのいささか無機的で奇妙な3人のヴィジュアル・イメージ写真、または選曲の面白さ。これらは、直接的な影響を受けたバンドやアーティストやオマージュではなく、リリーズ・アンド・リメインズとしてネクスト・フェイズに進んでゆくための禊ぎのような気もするが、「過程」でもあると思う。現時点での決定打ではない。振り返れば、LOVEの「Alone Again Or」を08年の『Moralist S.S.』EPではカバーしていたり、ライヴでもBAUHAUSのカバーなど積極的に行なってきていたが、この11曲のカバーはバラエティーに富んでいる。

 1曲目のキリング・ジョークの「The Wait」は、如何にも彼ららしい選曲と言えるだろう。キリング・ジョークといえば、決して晴れた表舞台には立つ訳ではなかったが、オルタナティヴ・ロックの歴史に名を刻んでいるUKのポスト・パンクのバンドである。その原曲の鋭利なギター・リフが活かされながらも、より現代風のアレンジで骨太に且つ、音響の幅を活かしたエッジのあるカバーになっており、頼もしい。アグレッシヴな疾走感が心地良い。3曲目の「Some Girls Are Bigger Than Others」は、言わずもがなだろう、スミスのカバーだが、他にも様々な曲がある中で、1986年の有名作『The Queen Is Dead』の最後に収められた、意味よりも戯れ、佳曲にも近い、「ある女の子たちは、他の女の子たちよりも大きい」ということを唄うシンプルな清涼なギター・ロック。政治的メッセージを強めつつあったスミスの絶頂期でも、少しピントをずらしたものを選び、尚且つ重みのあるリズムとKENTの籠ったボーカリゼーションによって全く別曲のようにリアレンジしているのは興味深い。深く沈んでゆく中で煌くように響くKAZUYAのギター、うねるNARA MINORUのベースといい、独特の解釈で捉え直している様は興味深い。

 目新しいのは、4曲目のヒカシューの「Pike」。彼らにしては初の日本語楽曲であるが、ポエトリー・リーディングみたく、敢えて抑揚をつけず呟くように歌うKENTの後ろで暴れるサウンドスケープがオリジナルなアトモスフィアをもたらしており、淡々とした微熱が響く。

 勿論、彼らのルーツにあるポスト・パンク / ニュー・ウェイヴからはニルヴァーナなど数知れずのバンドに影響を与えたギャング・オブ・フォーの1979年の『Entertainment!』から「Damaged Goods」の誠実なカバー、2曲目のエコー・アンド・ザ・バニーメン「The Cutter」における音響の幅を活かした解釈、ネオアコの文脈からは透いたイメージが浮く9曲目、ペイル・ファウンテンズの1985年のセカンド・アルバム『...From Across The Kitchen Table』から「Jean's Not Happening」、彼らの今までにないライトな空気感があるカバーの7曲目のモノクローム・セット「The Ruling Class」という順当ながらも、ツボをおさえた曲が現在進行形の温度で再写されている。なお、スーサイドの有名なファースト・アルバムに収められている「Ghost Rider」をボーカルで唄っているのは彼らの盟友ともいえるバンド、PURPLEのNOBというのも意趣深い。

 その中でも特に異端ともいえるのは、アメリカのメガ・ポップ・スターのブリトニー・スピアーズの5曲目の「Toxic」だろうか。ただ、彼女の曲というのは存外、ロック・バンドに愛されることが多い。かの「Baby One More Time」のトラヴィスのメロウなカバーを思い出さずとも、骨格として優れた曲構造と歌詞を持っているものがあるからだ。その「Toxic」が持っていたビート主体の骨格を脱化して、見事にパンキッシュなアレンジメントで沈み込むように、オリジナル曲を想い出せないような「飛距離」を見出している。まだまだ、メイン・ストリームに居るブリトニーをこういった代案(オルタナティヴ)としての攻めの姿勢で解体作業するというのは彼らの本懐だと思う。2分30秒ほどの間で毒が回るよりも先にビート、リズムを、ということなのだろうか。進度の中で原曲の「Toxic」は霞むのが麗しい。

 さらに、彼らが狙ったのか、面白い一曲にはベックのカバーの10曲目の「Lost Cause」である。この曲は、ベックがレディオヘッドのプロデュースでお馴染みのナイジェル・ゴドリッチと組み、オーケストレーションを取り入れ、セルジュ・ゲンスブールの『メロディ・ネルソンの物語』を目指したかのような、02年の優雅でありながも、悲痛で滋味深いアルバムでのシングルだった。この曲をスマートに再構築し、《Baby You're Lost Cause》、《I'm Tired Of Fighting》といった歌詞もさらっとなぞる。そこに倦みも諦観はなく、前に向かうリリーズ・アンド・リメインズというバンドの密やかな意思が感じとることが出来るとともに、水溜まりを反射するかのような煌めくギターとサウンド・ワークが美しいものになっており、ポップな耳触りも残る。

 11曲目のラストは彼ららしい、デペッシュ・モードの「Everything Counts」。シンセの絡みとリズムの撥ねが絶妙なダークなダンス・トラックで締められることになる。この新譜のカバー・アルバムをリリーズ・アンド・リメインズの確実な手応えと捉えるには難しいが、自分たちのルーツを確認し、同時に様々なアーティストやバンドのカバーを行なうことで、模索のための逸れ路を探しあてたというコンテクストとしては大きいと思う。まっさらな新曲、新しい舞台に挑むために、彼らは真ん中の心臓部ではなく、脈絡を伝い、「ゴドーを待っている」時期なのではないだろうか。全体を通じて、サウンド・ボキャブラリーは増えている感じもするが、原点回帰の意味も可視化出来る。それでも、この11曲で駆け抜ける速度はこれまでのリリーズ・アンド・リメインズ像を刷新するのみならず、不思議な聴後感をもたらすことだろう。

 フッサールの言を借りるならば、現在はつねに現在である「立ちどまり」と、現在が絶えず現在でなくなる「流れ去り」の双契機が、時間の流れの中で生起している、そんな熱を感じる内容になっている。それゆえに、まだまだ彼らは続いてゆく証左になった気がする。澁澤龍彦とサドの詩情の合間を縫うかのような、この速度感は、今の日本では稀有だと思う。

 

(松浦達)

 

※本作は4月4日リリース予定。

retweet