CLARK『Iradelphic』(Warp / Beat)

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Clark『Iradelphic』.jpg まったく異なるものが交わり、新たな興奮が生まれる瞬間に立ちあえるのは、とても幸せなことである。例えばヨーロッパでDJ活動が文化的行為として確立されているのは、世界中の音楽を頭に詰めこみ、それらを出し入れして独自の音楽的文脈 / 価値観を表現できる存在として認められているからである。そんなDJ活動に対する敷居は、PCDJソフトの普及によってかなり下がったと言えるだろう。だが、"DJができる"ことと"DJで表現する"ことが別物なのは、言うまでもない。

 "DJで表現する"には、頭に音楽を格納する際にそのDJにとって指標となる情報や視点を付与し、異なる文脈を上手く接合しなければいけないからだ。このDJ的編集感覚は、DJの価値を高める謂わば特権的なものであったが、その編集感覚もいまや音楽リスナーのデフォルトになりつつある。こうした潮流に、クラークの約3年振りとなるアルバム『Iradelphic』は、呼応しているように感じる。

 本作を一言で表せば、"クラークであってクラークではないアルバム"だ。本作でクラークは、自ら積み重ねてきた歴史、そして自己批評性から抜けだすことに成功している。前作『Totems Flare』までは、過去からの飛躍と変化で驚きを提供してきたクラークだが、それはあくまでテクノを基点としたものだった。しかし極論を言えば、本作に前作との繋がりはほとんど見受けられない。収録曲の大半にアコースティック・ギターがフィーチャーされているのもそうだし、美しくも悲しい響きを持つピアノ・ソロが印象的な「Black Stone」、リズムが意識的に鳴らされている「The Pining」という3部作にしても、どこかスパニッシュな香りを感じさせるなど、様々な要素が混在している。そして、これら多種多様な要素にジャンルを定義する必然性は、もはや存在しない。

 本作のタイトル『Iradelphic』は、虹色を意味する"Iridescent"と、曖昧を意味する"Delphic"を掛けあわせた造語だそうで、"曖昧な虹色"と訳せるタイトルである。本作でクラークが試みているのは、自身もコメントしているように、「これまで僕が作ってきたもののように聴こえないもの。だけど紛れもなく自分だと思えるもの」だが、この無謀とも言える試みの成功によってクラークは、どこへでも行ける"自由"を獲得している。そして結果的に、従来の歴史や文脈を超越するチルウェイヴ以降の音楽と共振するアティチュードも身に付けてしまった。もちろん偶然の一言で片づけることも可能だが、クラークも情報に影響されることなどありえなくなった現代に生きるひとりの人間だ。偶然と呼ぶには、あまりにも出来過ぎではないだろうか。そして、ここまで述べてきたことを前提に言わせてもらえれば、本作は"音楽"としか呼ぶほかない作品であり、既存の音楽の在り方を根本から揺るがす問題作である。

 

(近藤真弥)

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