LAURA VEIRS『Tumble Bee』(Bella Union / Raven Marching Band)

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LAURA VEIRS.jpg 現代において例えば、童歌(わらべうた)、民謡というものは有形文化財のようなものになってしまっているのか、といえば、勿論、これだけ日本が高度文明化しても周囲の子供たちは「ずいずいずっころばし」や「アルプス一万尺」を唄い、その音符の上で遊んでいるのは分かり得ることだろう。電子音になった無機的な童歌や伝承歌もあるが、両親がその両親から口伝えされた歴史は途切れることなく、連綿と受け継がれてゆく。そして、いずれはその子たちも大きくなり、また自分の未来の子供たちに歌を教える。

  どれだけ景色や速度は変わっても、幼稚園、保育所、小学校、公園、ストリート、どんな場所にも童歌、伝承歌は馴染んでいる色味は変わらない。フレーズのリフレインに、ふとした慕情が挟まれ、伝承された文化の内奥を覗き込むことが出来る。そこには、歴史とは「個」が集まり寄って成り立ってきた大きな事情としての文化と他者が信ずるものの文化へ投企との駆け引きがあったと推察されるが、「駄目なものは残らない」という市場原理では働かないのが世の中であり、経済合理性で人間という在り方を突き詰めることができない証左を示す。

 この作品、ローラ・ヴェイアーズの『Tumble Bee』には13曲入っているが、ジャケットの下に「SINGS FOLK SONGS FOR CHILDREN」と書かれているとおり、12曲がいわゆるアメリカをメインにした伝承歌であり、子供に関係するものや子供が口ずさめるカバーが収められている。今作のプロデューサーであり、夫のタッカー・マーティンとの間に子供が生まれたことも起因しているかもしれないが、99年からポートランドを拠点にマイペースに活動してきた女性SSWとしてのキャリアやそれまでの作品を鑑みると、滋味深く暖かさはじんわりと響く。エイミー・マンやジョアンナ・ニューサムが持つ温度に近い何かを巡りながら。

 選ばれた曲群は、どれも馴染み深いものばかりになっている。2曲目の「Prairie Lullaby」は、カントリー音楽の始祖ともいわれるジミー・ロジャースの例の歌唱を彼女なりにパスティーシュするように、裏声の巧みさが活き、コーラスの導入と緩やかでダウン・トゥー・アースなリズムと透明感溢れる音の中で落ち着いたムードで魅せるという、さながら、アーバン・カントリーのような澄み方がある。今作はどの曲にしても、ローラ自身の歌声も素晴らしいが、R.E.M.やマイ・モーニング・ジャケットなど数多くのワークを手掛けてきたタッカー・マーティンのプロデュースの手腕も冴えており、伝承歌を今に蘇らせるという試みよりも、今の歌に伝承歌が融け込み、老若男女を選ばずに聴くことができる門戸の広さを備えているのは流石だといえる。

 アメリカではとみに馴染み深く、世界中でも愛されているスタンダード、リズムと語呂が撥ねる5曲目「King Kong Kitchie Kitchie Ki Me O」の朗らかでファニーなカバーも爽快で、特に巷間では「バナナ・ボート」で名前は知られているだろうが、ハリー・ベラフォンテの「Jump Down Spin Around」では犬の鳴き声や合いの手のようなコーラスも小気味良く、同じく彼の「Jamaica Farewell」ではカール・ブラウ(Karl Blau)の艶やかな声とのデュエットが原曲自体の持つ内容と比して、穏やかに舞う。

 この作品を民謡集、伝承歌集としてそのまま額縁におさめるべきではないのは、取り上げる曲には奴隷制度があった時代のものや言葉遊びのようなものばかりではない、という要素も大きく、フォーク、カントリー・ミュージックの元々持っていた悲しみ(ブルーズ)や労働者たちの仄かな日常の痛みを今の子供たちへ、そして、それを忘れていたかもしれない昔の子供たち(現在の大人たち)へ届けようとする彼女の試みが涼やかな意志とともに見えるからでもある。耳触りもよく、スタンダード曲ばかりなので思わず全部、口ずさめてしまう、ただ、歌詞やその時代の歴史背景、原曲を知ると、よりまた深みを増す。そういう意味では、この歌集はまた新しい世代に引き継がれ、歴史は続くのだろう。歴史の中では唄は、いつも「生まれたて」だからだ。

《Why Does A Cow Drink Water? / Tell Me Why N Why? / Because The Cow Gets Thirsty Just Like You Or Me Or Anybody Else(By WOODY GUTHRIE「Why Oh Why」)》?(なぜ、牛は水を飲むの? なぜかって。なぜなら、牛はあなたやわたし、ほかのみんなと同じように喉が渇くからなんだよ:筆者訳)

 

(松浦達)

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