埋火『ジオラマ』(P-Vine)

|

埋火.jpg 本作収録の「タイムレスメロディ」で歌われる《たしかなことが/ふたしかになって/うたいおえたひとがまた/うたいだしたりもして》という歌詞が頭に残る。

 山本精一や二階堂和美など、数々のミュージシャンと共演した経験を持つ埋火(うずみび)。見汐麻衣と志賀加奈子を中心とする彼女らは、2001年に福岡で結成された。2004年に自主制作盤『朝も昼も夜も』を発表し、2008年には元羅針盤の須原敬三が参加し『わたしのふね』を発表。結成当初はバーズやラモーンズのカヴァーを中心に演奏していたことから窺えるように、シンプルで牧歌的とも言える楽曲の中にざらついた質感のある音を忍ばせていた。それゆえリラクゼーション・ミュージックという言葉に回収されず音楽シーンの中でスウィングしていた。しかし、3作目(正式にはセカンド・アルバム)となる本作『ジオラマ』は音楽シーンという括りを超えてスウィングする作品になっている。

 インストやアップ・テンポの曲を交えたことでタイトルどおりジオラマとして働いているのも面白いが、特筆すべきは作詞作曲を手掛ける見汐麻衣の歌声。前作より際立っている彼女の歌は、「私の歌」としてでも「私たちの歌」としてでもなく、主語は抜け落ちて聴こえ、私欲のない歌として純度が高く、聴き手の想像力を縛らない。それはもともと歌というものが子守唄やわらべうただったように、生活に密着したカタチで僕らの中に存在していることを気付かせる。さらにはソニック・ユースや時としてモグワイを思わせるノイジーなギター・サウンドが醸し出す刺が楽曲に毒を与えており、素通りできない音楽としてわずかな爪跡を聴き手に残す。その爪跡の違和感には、音楽とは与えられるものだけではなく、聴き手の内から聴こえてくるのだと気付かされるところがある。

 本作が発表されたからといって、特別何かが、例えば時代や社会が変わることはない。しかし、なぜ今、リアルに鳴っているのか。それは「文字がない文化はあっても、音楽がない文化はない」と言われるように、僕らの音楽的嗜好の問題を超え、音楽が人の中で死ぬことはないからだ。埋火の音楽はたとえ音楽産業が崩壊してもなくなることはないだろうし、アーティストという存在が失われても音を鳴らす人々がいなくならないことを示している。前述したわらべうたのように音楽が本来持っていた、音楽はアーティストだけのものでもディープなリスナーだけのものでもないということを、今、埋火はポップかつオルタナティヴなカタチで「再生」している。

 

(田中喬史)

retweet