岩井俊二『番犬は庭を守る』書籍(幻冬舎)

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岩井俊二.jpg 映像作家である岩井俊二氏の10年振りの新作小説が今作『番犬は庭を守る』だ。前作『ウォーレスの人魚』は石井竜也監督『ACRI』の映画の原作として書かれていたが、撮影にまでに終わらずに、その後映画とは違うエンターテイメントなSF要素のある小説として刊行された。『ウォーレスの人魚』はホモ・サピエンスとして進化した人類とは別に海で生活するように進化したホモ・アクエリアスとしての人魚を巡る物語だった。この作品においては進化というものが主軸に置かれている。だからタイトルにも「ウォーレス」の名がついている。

 岩井俊二といえばある世代にとっては『Love Letter』や『スワロウテイル』などの独自な映像美から「岩井美学」と呼ばれる映像作家であり、新しい編集やカメラを積極的に取り入れインターネットを使った創作をしていた映画監督でもある。のちにSalyuとなったリリイ・シュシュという架空の歌姫とネットのBBSを物語の主軸においた『リリイ・シュシュのすべて』ももう11年も前だ。この作品から市原隼人と蒼井優が世に出て行った。

 2000年代に入り、監督作は少なくプロデュース業の方で名を聞く事が多くなった。その間も岩井俊二は『あずみ』『宇宙戦艦ヤマト』『日本沈没』『火の鳥 完結編』などの映画化に向けて動いていたが、原作が薄れるほどのオリジナルな内容にしたりで、降板などをしていたと先日のトーク・イベントで語っていた。

 『番犬は庭を守る』は、もともと映画化にむかてミレニアムの前に書き始められた作品だった。チェルノブイリの事故から着想を得た、危険を感じた岩井俊二が書き始めたこの作品は映画化にならず、発表もされないままだった。そして去年の3月11日に東北大地震が起きて原発事故問題が起きた。岩井俊二は「書いていた」のに「危険性を知っていた」のに、原発事故問題が起きる前になぜ、この作品を世に出していなかったのだろうと思われたそうだ。今回の地震と原発以後に岩井氏は目に見える形でネットやドキュメンタリーを作り精力的に動き出した。自分たちにできることは何かと。

 そして、世に出されてなかった今作が小説として書き上げられた。作品自体はチェルノブイリの後に書き始められたものだったので、作中の登場人物や土地の名前などはどことなく旧ソ連やロシア的なものを感じる。

 第一章は主人公のウマソーの祖母の曾祖父であるイジュサムという鯨捕りの名人から始まる。クジラがかつて世界の燃料だった頃。イジュサムから始まり、やがてその血を継ぐウマソーが誕生する。プロローグでは、まだ世界は複雑化していない。そこから物語は始まる。これは「ペニス」を巡る物語で、これは男子としては笑えないものだ。しかもウマソーの「ペニス」は次第に失われていく、放射能汚染で大きくならない劣等感に加えて、彼に起きる出来事で存在そのものすらも...。ウマソーが辿り着いた職場の先は廃炉だった。彼はその追いやられた場所でそこに居場所を見出しながら物語はそこまでに出会った人やアクシデントと結びつきながら展開していく。

 「ペニス」を失っていく彼やいろんなものを失っていく人達がそれでも生きていくその世界で、生命は紡がれていくのか。どんな世界でもそれでも人は生きていく。たとえ過去から見れば救いようのない最悪な未来に見えても、そこで生きていく人達は喜び哀しみ与え奪いながら、人は人とかかわり合いながら生きていく。

 寓話のようにも思われる物語の中に潜んでいるのはチェルノブイリや福島原発という現実に起きた、起きている放射能問題とそれらにまつわる生殖や遺伝子に与える要因について。それらをエンターテイメントの中に昇華している。読みながらこのままではこのフィクションが本当に僕らのノンフィクションになってしまうのではないかと危惧が出てくる。僕らがこの先どう動いていくのか考えていかないといけないのか。

 どんな世界であっても、生まれてくる生命は逞しくその世界をダイブする。

 

(碇本学)

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