LANA DEL RAY『Born To Die』(Polydor / Universal)

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LANA DEL RAY.jpg 「死は芸術だわ。私達はポップ・ミュージックを使い果たしてしまった。そういった健全な夢は死んでしまったのよ」

 これはまぎれもなく、ラナ・デル・レイことリジー・グラントの言葉である。

 もはや周知の事実かも知れないが、彼女が注目を集めたキッカケは、「Video Games」だ。ピッチフォークは"Best New Track"としてピック・アップし(とはいえ、レビューを読むかぎり、『Born To Die』のことはお気に召さなかったようだ)、ユーチューブにアップされたMVは、驚異的な再生回数を記録した。また、iTunesでリリースされた「Video Games」が19ヶ国でトップ10入りし、NMEは昨年のベスト・トラック/ベスト・ビデオの栄冠を与えている。こうした具合に、デビュー当初から話題が尽きなかったラナだが、そんな彼女に対して、多くの人がこんな疑問を抱いたはずだ。

 "ラナ・デル・レイは本物なのか?"

 かのイギリス首相がファンであることを公言し、「Video Games」で注目を集めるまでの過程や、"サタデー・ナイト・ライブ"でのパフォーマンス。そして、モデル事務所とモデル契約したりと、ラナの"音楽以外"のニュースが飛びだすたびに、批判の声が大きくなっていった。

 そうしたなか、実に様々なメディアがこぞってラナを分析しコメントしている。そんな数多くの主張でもっとも興味深かったのは、以下のコメントである。

「魅力的な創造物。ハッとするほど美しく、繊細ではかなく、青い瞳の裏には神秘的な何かが潜んでいる」《i-D》

 特に引っかかったのは「魅力的な創造物」という箇所。この言葉は、ラナ・デル・レイを表すうえで非常に的確なコメントだと思う。

 『Born To Die』は、どこまでも作りこまれている。完璧に近いサウンド・プロダクションだ。特にストリングス・アレンジが秀逸で、ケミストリー「It Takes Two」でも辣腕を振るったラリー・ゴールドが担当している。ラリーはヒップホップ作品などで目にすることが多いレジェンドだが、本作にはヒップホップの影響が窺える(それが顕著なのは「National Anthem」だろう)。ラナ自身「ギャングスタ界のナンシー・シナトラ」を自称しているが、「Video Games」でもスモーキーなハスキー・ヴォイスを披露しているし、多弁的な歌詞もラッパー顔負け。「ギャングスタ界のナンシー・シナトラ」も、あながちウソではない。

 そしてなにより、ラナが「アルバムのトーンを決めている」と言う曲「Born To Die」だ。この曲こそ、ラナ・デル・レイという"創造物"の本質であり、リジー・グラントの本音である。「死ぬために生まれた」と名付けられたこの歌は、こんな一節から始まる。

 「足元を見つめながら/どうかこのままそこに辿り着けるようにと願ってる/一歩踏み出すたび/胸が痛んでどうしようもないけど/そのまま歩きつづける/天国の門前に立ったそのとき/あなたが私のものになるなら 《Feet, don't fail me now Take me to the finish line Oh, my heart it breaks Every step that I take But I'm hoping at the gates, They'll tell me that you're mine》」(筆者訳)

 これは、「私は自分の音楽で、色んな人生をぶち壊して、危険なことや危険な人の魅力を理解したいの」と語る彼女の旅の始まりを意味する。その旅の目的は、「色んな人生をぶち壊して、危険なことや危険な人の魅力を理解」するためだ。

 本作で歌われていることのほとんどは、ラブ・ストーリーである。とことん打ちのめされ、静かに狂っていく人々が描かれるラブ・ソング。こうした曲群を、"厭世的"と表現する者もいるだろう。一理ある。"アメリカン・ドリームの危うさを映しだした亡霊"と捉える者もいるかもしれない。これまた一理ある。"閉塞感が漂う世界を代弁したポップ・ミュージック"と祭りあげる者もいそうだ。まあ、わからなくもない。そしてこれらを総して、"シニカルに現実を見つめ告発するポップ・スター"と結論づけることも可能だ。

 もちろんいま述べたことがすべてではないが、"悲観と皮肉が支配する斜に構えたアルバム"というのが、本作を一聴したときに感じる大方の感想ではないだろうか?

 だが、こうした複雑な陰鬱の奥に潜んでいるのは、間違いなく"希望"である。再び引用で申し訳ないが、「Born To Die」にはこんな箇所もある。

 「悲しむのはイヤ/泣くのもイヤ/愛されるだけではダメな時もある/何もかも思うようにいかないこともある/なぜかわからないけど/それが人生なのよ/でもそんなときこそ楽しく笑って/幸せな気持ちでいたい/人生という長い道を生きていくんだし/辛いことがあったら/楽しいことだけを考えるの 《Don't make me sad,Don't make me cry Sometimes love is not enough And the road gets tough I don't know why Keep making me laugh Let's go get high The road is long,We carry on Try to have fun in the meantime》」(筆者訳)

 そして「Born To Die」は、以下の一節で幕を閉じる。

 「死ぬ前に言い残したいことは?/あったら考えておくのね/これが最後かもしれない/なぜなら2人とも/生まれたからにはいずれ死ぬの/それが人間よ 《So choose your last words, This is the last time Cause you and I We were born to die》」

 ラナにまとわりつくイメージに惑わされがちだが、この一節は、"人間はいずれ死ぬからこそ、強く生きるべき"というポジティブなものとして読みとることもできる。例えば「Born To Die」のMVにはキリスト教を連想させる要素がいくつも出てくるが、このMVは、血まみれで遺体となった女を男が抱えて立ちつくすという衝撃的な結末を迎える。だが、カップルが悲観的になり自ら命を絶つことはない。キリスト教は、教義として自殺に否定的だからだ。そしてこの引用は、先述の"人間はいずれ死ぬからこそ、強く生きるべき"というメッセージを示唆する。"それでも生きるのだ"と。

 アルバムを通して聴くと、ひとつの壮大な物語が重厚に描かれている。そして、あえて空間を作り、聴き手の想像力に依拠した音楽が多い現在のポップ・ミュージックに逆行する、濃密な音楽が鳴っている作品であることがわかる。パンを最大限に使い、聴き手を圧倒するように様々な仕掛けが施された音。それはあまりにも過剰で、異端である。この異端的な側面は、どこかレトロチックなラナのルックスと佇まいによって、さらに強調されている。だからこそ"本物ではない"と批判され、《i-D》の「魅力的な創造物」というコメントが、ひときわ目を引くのだ。つまり、"本物ではない"という批判は、ある意味あたっている。確かに、本作は文字通り「魅力的な創造物」なのだから。でも、そこに隠されたラナのメッセージこそが重要であり、"創造物"という表層だけで本作を判断するのは、あまりにも早計だろう。「映画と音楽と人生が、1つに融合しつつあるのよ」と語るラナのことだ。音楽だけでなく、メディアでの振るまいなどにも注視すべき(この点に関しては、かつて資本主義の暴力と残酷さ体現した50セントを想起させる。やはりラナにとって、ヒップホップは重要なのだろう)。

 最後も引用になってしまうが、以下にラナの言葉を記しておく。

 「誰もがみんな有名になりたがっている。他の人々に自分の人生の証人になってもらいたいという欲求は、本質的に人間らしいものよね。誰かに見られているということが、人間には大事なのよ。独りぼっちにはなりたくないってこと。私も独りではいたくないわ」

 『Born To Die』は、歪で過剰な承認欲求が生みだした、美しくも儚い光に満ちた傑作である。

 

(近藤真弥)

 

※本作の国内盤は2月8日リリース予定。そして、本文中のラナの発言は、ユニバーサル・ミュージックのラナ・デル・レイ公式ページのバイオグラフィーから引用したものです。

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