西島大介『I Care Because You Do』書籍(講談社)

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西島大介.jpg 「しょーこー、しょーこー、あさはらしょーこー!」そんな歌がテレビから聞こえていた1995年。その年、日本では阪神淡路大地震があり、オウムによる地下鉄サリン事件が起きた。「おめでとう、おめでとう、おめでとう!」と『新世紀エヴァンゲリオン』のアニメの最終回で、主人公の碇シンジがみんなにそう言われたあの最終回。漫画原作者であり、編集者である大塚英志はこれを「人格改造セミナーだ」と言った。

 西島大介氏の最新刊である『I Care Because You Do』という漫画は、その時代を描いている。この物語は、作者自身にとっての三人の神様を巡る物語だ。庵野秀明を崇拝する少年、リチャード・D・ジェームスに酔いしれる少年、そして、YOSHIKIを知った少年―西島氏の分身でもあるだろう三人の高校生たちが、「終わると思っていた世界」が終わらずに、でもある意味で終わった90年代を通りすぎていく漫画である。

 西島大介は早川書房より漫画家として『凹村戦争』でデビューする。同じく早川書房より出した『アトモスフィア』では増殖していくドッペルゲンガー化する世界を描き、スター・ウォーズ・サーガ的な科学と魔法が対立している世界である『世界の終わりの魔法使い』シリーズ、同作の四巻目『世界の終わりの魔法使いⅣ 小さな王子さま』は今作と同時発売である。ベトナム戦争を舞台に描くボーイ・ミーツ・ガールな『ディエンビエンフー』などがある。

 今作の中で庵野秀明と『エヴァ』にハマっている少年は、付き合っている彼女とオザケンの事を話したりする。そういう時代だったのだ。渋谷系の王子が旅に出る前の95年。そして、庵野秀明にハマった事を思い出しながら『トップをねらえ!』について考えたことのナレーション的な台詞がこれである。

「とにかく引用の果ての真剣さに僕はしびれた。明らさまなパクリの中にも魂は宿る。...って アレ? それってオザケンと同じか。元ネタありきのサンプリング感覚」

 タランティーノ以降、ヒップホップ以降の世界での表現としてのサンプリング感覚。オリジナルとコピーとは何かを巡る問題や捉え方についての考え。

 西島大介は大塚英志の弟子筋にあたる。大塚英志を長年読んできた僕が西島大介を知ったのも、『新現実』という大塚英志の作った雑誌に載った漫画だった。それが後の『凹村戦争』に繋がる。大塚英志が語るオリジナルとコピー問題は昔からあった。近年では代表作でもある『多重人格探偵サイコ』においてもスペアという問題で現れているし、『多重人格探偵サイコ』は目玉にバー・コードを持つ殺人者たちの物語だが、バー・コードとは所詮大量生産という証でしかないというオリジナルを巡るテーマが根本に流れる。

 西島大介は『アトモスフィア』において主人公の前に現れるドッペルゲンガーがどんどん増殖し、その世界すらも並行世界のように世界すらもドッペルゲンガー化し増殖していく世界を描く。増え続けると、もはやオリジナルとコピーの区別はほぼなくなってしまう。「オリジナルとコピー」。僕とは一体何者なのか? 何かを創る時に影響を受けたものから逃れられない複製としての表現。もはや"n次創作"が溢れる世界において。

 『I Care Because You Do』は90年代に思春期を過ごした者にとっては懐かしい空気感を持つ漫画だ。そしてノストラダムスの予言はあたらずに、大地震が来ても宗教団体のテロが起きても世界は終わりはしなかった。だけど主人公である三人の世界はある意味で終焉し、彼らはその先を生きて現在までが描かれている。かつての少年たちは、もう三十代に入っている。もはや95年は近過去だ。カッコわるくみっともなくてダサイ、でも何かを信じてたあの頃。だからこの物語は彼らにとっての神様たちと彼らが別れていく物語だ。これは90年代に青春を過ごした彼らの通過儀礼の物語。とても哀しく、愛おしい物語。

「パターン青、使徒です。使徒ってテクノっぽくね?」
「心の傷、エンドレス・レイン」

 西島大介の漫画は、コマに台詞しかないものが続いたりする。文学的な部分がありながらも、絵がなくてもそれはやはり漫画だ。西島氏とさやわか氏が主催している『ひらめき☆マンガ学校』という参加者全員を漫画家にするという企画があるのだが、その一学期をまとめたものが講談社BOXより出ているので読んでみてほしい。表現をどう考えているかがよくわかるし、マンガ以外の表現にも有効的なものがたくさんある。

 昨年2クール放映されたアニメ『輪るピングドラム』も物語のバック・グラウンドにあったのは地下鉄サリン事件だった。そこで描かれた95年から現在に至る間に、かつての少年少女たちは、それまでの倍の時間を生きて三十代になっている。当時よりも酷いかもしれない日本の現状の中、あの頃の僕らと同じ思春期の子供に、そして現在の僕らにむけた作品が現れてくるのは当然の流れなのだろう。僕らが居た時間の肌触り。僕と趣向は違うけど、知っている温度の時代がそこにはある。今の若い世代は、どう感じるんだろうか。

 『I Care Because You Do』を読むと90年代に思春期を過ごした者のノスタルジアが見事に昇華されていて、最後は泣きそうになる。西島作品の中でこの先一番好きになっていくかもしれない、あの頃と95年から、どんどん時間が過ぎれば過ぎるほどに。

 僕のゼロ年代の神様も三人いるけどここでは教えない。

《神様はいない。けど、いた。'90年代の終わり頃に。
もちろん麻原彰晃じゃなくて。
リチャード・D・ジェームス、庵野秀明、そしてYOSHIKI。
これが僕の神さま。なんてことだ、三人もいる。
'90年代の話を書こうと思う。本当のお話、本当の物語を。
神さまに、置いてきぼりにされた瞬間を。
'90年代のどんな事件より、どんな災害より、
もっと決定的に世界を終わらせてしまった出来事を。
彼がステージに姿を現してくれなかったあの日のことを。
あのテレ東のアニメの最終話を。解散と突然の悲劇を。
ほんのちょっと遅れてやってきた、本当の結末。
三人の神さまに、この物語を捧げる。
アイ・ケア・ビコーズ・ユー・ドゥー。》

  そろそろ夕方のテレビが始まる。急いで帰らなくちゃ。

 

チャンネルをテレ東に
リモコン持ったら速やかに
フルカラーのまたたきが
ブラウン管からあふれだす
伝えたい言葉は I LOVE YOU
口をついて出る I WANT YOU
愛の言葉は I LOVE YOU
君に届けたい I NEED YOU》
(相対性理論「テレ東」)

※西島大介「ゼロ年代最後の年に。まえがきにかえて」より。

 

(碇本学)

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