工藤鴎芽「At The Bus Stop」(Record Shop Django)

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工藤鴎芽.jpg 「声の聴こえない音楽」として、ポスト・クラシカルやエレクトロニック・ミュージックの宿命と時おり、聴こえるはずのない声が聴こえること、とは何なのだろうか。作家の作品に込めた想いなのか、その作品を透けた雑踏とすれば、今回では「バス停」なのか、考えが巡る。

 「奈良のレコード・ショップ・ジャンゴ×工藤鴎芽~奈良にて」という内容で、ここクッキーシーンでも書かせて貰った企画的な工藤鴎芽のミニ・アルバムの第二作目『At The Bus Stop』。第一作目のタイトルが示す通りの『Mondo』の時よりは、ポスト・クラシカル色が稀薄になり、ミニマル・ミュージック、トイ・エレクトロニカとでも言おうか、ストイックなものにシェイプされており、ヘッド・ミュージックとしての愉しみ方を誘起する内容に収斂している。

 7曲、26分の緻密な設計図の中での音楽が持つ白昼夢的な"逸れ道(オルタナティヴ)"。聴き手の聴き流しを拒むかのように、様々なアイデアが詰められた上で、インストゥルメンタルに軸を置きながら、作者の意志、声が聴こえるところには、「音楽=ミュージック」から「音響=サウンド」へのベクトルの途程で、「音風景=サウンドスケープ」の中に見事に署名を残したといえる。

 「署名が見える、電子音」というイロニカルな事実を越えて、この作品で用いられている音楽的語彙、風呂敷は広い。1曲目の「Move On The Technique」のテクニカルなビートの刻まれ方にはガーション・キングスレイ「Popcorn」のようなテクノ・クラシックへの畏敬にも繋がる繊細且つチープな電子音の手触りと滑らかなサウンド・レイヤーが感じ取ることが出来る。仄かにはねるリズムが心地好くもあるが、既に『At The Bus Stop』の制作の矢印が「未知は既知の一様態として受け容れること」にあるとも推察できるのとともに、既知を未知へと揺らがせる不安定さが魅力だ。1曲目のストイシズムを対象化させるごとく、ストリングスとピアノ音がフィーチャーされた2曲目の雅やかな「Step For Jazzy」に繋がるときに、明らかに未知の閾での「バス停にて、待つこと」そのものの意味が再定義される。

 バスは来るかどうか分からない。バス亭にも居るかどうか分からない、ただ、バス停らしき何か、途中過程には居るということ。その予感だけを持って、夢想の中での音風景に馴染むのはこのアルバムか、Aoki Takamasaかハウシュカの一連の作品群か、というのはあながちズレてもいない想像だとも思う。仄かに漂うサロン性。そのサロン性とは、時間経過とパラレルにモードを置くことでの現実の仮縫いの糸を解く事前段階といえ、その事前段階の時点で現実はこちらを見ていないし、自分が現実の中にあるかどうかも分からない。そんな、感覚(センス)を繋げる、まるで純喫茶やオペラ・ホールの待合室で流れてもいいようなディーセントな耳ざわりを持つこの曲(「Step For Jazzy」)の背景には往年のロマンティックながらも悲喜を含んだ映画のサウンド・トラックを想い起こさせる。『ローマの休日』、『女と男のいる舗道』、『カビリアの夜』―。これらの映画での倦怠と華やかさはフィルムの終わりとともに、日常に戻る、そういう線が見えたものだが、『At The Bus Stop』では線が見えない。だから、日常と非日常の境目が混線する。ゆえに、3、4曲目といささかスキゾな曲が混ざることになるのも、現代の日本の何処かにあるはずのバス停という場所の世知辛さが当然に浸食してくるのも、道理なのだろう。前者のタイトルが象徴的な「Drop For Hip Hopper」は、ビートが硬く刻まれる無愛想さがある曲であり、後者の「Walk For Bossa Nova」は彼女の気怠いスキャットも入りながらも、ローファイな「テープ音楽」のようなアナログ感がある。昨今のUSインディー・シーンでの敢えて聴けない「テープ音楽」ではなく、ノア・クレシェフスキーが行なっていたそれに近いものである。そこへの電子音楽を巡っての聴取方法への彼女の何らかの抗いが見える。簡単に音楽は聴けるが、どんな形でも聴ければいい時世に向けての、音質のラフさ。

 そして、何より驚くのは、エキゾチズム溢れる5曲目の「Park For Ethnique」にはシタールや、バグパイプ、旋律はラヴィ・シャンカールの曲をクラブ・ミックスした風合があり、くるりの『The World Is Mine』に入っていた「Mind The Gap」を彷彿させる。あのアルバムも風呂敷の広い内容だったが、インスパイアされた部分があるということだろう。

 『At The Bus Stop』に通底する音への神経症的な意識とは、聴き手の聴覚の鋭度を求める。感覚が緊張を高めるにつれて軋むサブリミナルな刺激が7曲を繋ぐ。そもそも、1曲目のビートが刻まれた時点での微細なまでの意識の鋭敏さが、5曲目の何処にもない夢想内での異国感と、6曲目のベルや雑踏での音など多様な効果音が混じる「Kiss And Bite For You」で漸く露わになるという証明をする時点で、電子/音響の関係性を繋ぐ鎖を千切る。ゆえに、ラストの7曲目は1~6曲目までの夢の中の現実でのテンション(緊張)がその夢の中の更に、夢だったことを露顕させるがごとく、一旦、打ち切る。バイオリンなどストリングスが麗しく響き、ロンドのステップを刻む、「Stop For Cinematic」。この曲にふと挟まれる完全なる「静寂」、その中で、とあるバス停での白昼夢は終わる。

 白昼夢を見ていたのはバス亭にいる誰かだったのか、聴き手だったのか。

 

(松浦達)

 

※筆者注:フィジカルCDは奈良のセレクト・レコード・ショップ「ジャンゴ」店頭で購入および取り寄せ等が出来ます。のちに、ワールドワイド配信もするとのこと。

 

【問い合わせ】 django@m4.kcn.ne.jp

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