YANOKAMI『遠くは近い』(Yamaha Music)

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yanokami.jpg 「過ちを犯したらそれを知らずにいるのは不可能だ。何かを壊してしまったことを知らずにいるのは不可能だ。(中略)世界をめぐる自分の意識、存在に対する自分の関心―それらははじめから言葉になっているものではない。そして詩とは、言葉から築かれるのでは断じてない。言葉を掘り下げれば詩ができるわけではない、詩が言葉を作るのであり詩が言葉の意味を内に抱え込むのだ。」(ジョージ・オッペン『詩作法に関するメモ』より)

 「詩」の断面から2011年を見渡した時に、疑うことは可能だったのか、不可能だったのか、目で見えるもの以外に取り返しのつかないものを「感じる」ことが多かったかもしれない。

 7月に脳出血で急逝したアーティスト、レイ・ハラカミの音に最初に触れたとき、その角のない丸みを帯びた電子音、滑らかに滑ってゆく人肌を感じさせるスムースな流れと素朴ながらもずっと浸っていると、不思議なことに日常がふわりと変わってしまうような、巷間に溢れているエレクトロニカ、IDMとは違う温度があった。音源に関してはローランドSC-88Proしか殆ど用いていないのというのもあり、「彼の音」はどんな場所、どんなリミックス・ワークでもすぐ分かる記名性の高いものでオリジナリティを保ちながらも、アクの強さはまるでない。01年の『Red Curb』がやはり世間的に彼の音を認知させたアルバムと言えるだろう。11曲が繋がりながらも、浮かぶ情景は郷愁とも異世界とも言えない「詩が言葉の意味を、内に抱え込む」トリッピーで粒立った電子音の柔らかさはテクノ・リスナー以外のアーティストにも響き、くるりの「ばらの花」やGreat3の「Oh Baby Plus」のリミックス・ワークなどでも鮮やかに原曲の美しさを保持しながらも、全く新しいロマンティシズムを導入せしめ、UAの「閃光」のプロデュース・ワークも美しかった。"声のないロバート・ワイアット"、ソフト・ロック、カンタベリー・シーンの持つような音のようなムードと独自のアトモスフィアを保持しながら、ブレイクという言葉は相応しくないが、05年の『lust』は多くの人たちに受け容れられることとなり、フェスやイヴェントでも彼の姿をよく観ることが増えた。

 個人的には、彼のライヴで鮮明に憶えているのは08年の京都で行なわれた京都音楽博覧会でのパフォーマンスだった。くるりを主催とし、小田和正氏やスウェーデンのThe Real Groupなどが並ぶ中での異端の選出でありながら、しかし、寡黙に優雅な電子音を広い梅小路公園に紡ぎあげているときには風と彼の流麗な音が混ざり合い、自然と「同化」するように微睡むような至福の時間を彩ってくれた。但し、そこには「牧歌性」という言葉は相応しくなく、ストイックな美学に貫かれていた。その美学の中でオーディエンスは酔うことが出来た。

 05年の『lust』では細野晴臣氏のカバー「Owari No Kisetsu」で朴訥な彼自身の声そのものも響かせてもいたが、矢野顕子と組んだYanokami名義になってからの自由度と声と電子音の混ざり合い方はより遠くへと、日常を運び、ともすれば、チルアウト、アンビエント的に扱われてしまうレイ・ハラカミというアーティストを飛躍もさせた。07年のファースト・アルバム『Yanokami』では矢野顕子自身の曲、声、ピアノを軸に彼のエレクトロニクスが毛布のように包みこみ、水彩画のような深い世界観を筆致していた。

《沈む雲に 手をのばし 少しちぎって 食べたなら/雨が来ぬように さよなら さよなら さよなら》
(「気球にのって」)

 原曲の持つ美しさに彼のシンボルたる電子音が入ってきた途端に、また違った景色が見える。《雨が来ぬように、さよなら》の響きもまるで時に矢野女史の持つボーカルの強度を越えて、時間を抜ける。それはまるで、ポール・オースターの『ムーン・パレス』でマーコ・フォッグが「芸術の目的とは、世界に入り込み、その中に自分の場を見出す道なのだ。」という言に沿えば、オースター自身が語るように、書く(芸術行為、表現行為を行なう)よりも書かないとき、沈黙のときの方が本当に苦痛で酷なのだろうということさえ夢想する。レイ・ハラカミの音には沈黙に近い何かがあったが、その音を作り出すまでの過程の「生活」を想い浮かべると、その辛苦は想像するに余りある。

 Yanokamiとしては、4年振りとなる新作の『遠くは近い』。

 レイ・ハラカミの遺したトラックやラフ・スケッチを元にしながらも、ユザーンが手を加えた「9曲のうた」が並んでいる。基本はカバー曲が主軸を占める。荒井由実の「曇り空」、「瞳を閉じて」、オフコースの「Yes-Yes-Yes」という日本の有名曲からローリング・ストーンズの「Ruby Tuesday」まで幅広い。そして、これまで以上に開放感と豊饒な音空間の中でそういった歌が紡がれる。ハラカミ本人の「不在」よりも、アルバムとして持つ拡がりに胸が打たれる。作曲がレイ・ハラカミとなっているインストゥルメンタル「Yanokamintro」の1分半にも満たない子守唄のような残響にも相変わらずの彼の息吹を感じる。個人的には、どうしても原曲の大きなイメージが強いオフコースの「Yes-Yes-Yes」のささやかな再構築のエレガンスと鼻歌のように弾んだ声で歌う矢野顕子の声に魅かれた。

《君の嫌いな東京も 秋はすてきな街/でも 大切なことは ふたりでいること》
(「Yes-Yes-Yes」)

 最後に、この9曲はYanokamiとしてのあくまで新しい音として聴くべきで、これまで通りのものとして十二分に愉しめる。必要過多な感傷や悼みを除いて、フラットな想いで対峙すればいい作品だと思う。

《Goodbye, Ruby Tuesday / Who could hang a name on you? / When you smile with every new day / Still I'm gonna miss you...》
(「Ruby Tuesday」)
《さようなら、ルビーの火曜日/誰が君に名前を掲げることが出来るのだろうね?/あなたがどんな新しい日々の中で笑うとき/まだ ぼくはあなたを恋しく思ってしまうんだ》
(筆者拙訳)

 ルビーの火曜日を越えたら、週も真ん中で少しは落ち着ける。

 来年はどんな新しい日々が待っているのか、「いつか来る、水曜日」を楽しみにしたい。

 

(松浦達)

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