NILS PETTER MOLVAER『Baboon Moon』(Sony Music / Columbia / Thirsty Ear)

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NILS PETTER MOLVAER.jpg 例えるならば、会話や読書では、刺激反応はそれなりに少しずつのクロージャーを起こす。「知覚」が一旦は完結しながら切れ切れに進むように。それがメディア経由の音楽では、それを許さないような速度で適応でも防衛でもない状態を創成する。いわば、「間合の崩壊」。その「間合」を見るには、ヘルザ・シュトルムが命名した「半秒症」を援用してみてもいい。人間が複雑な情報に対応するには少なくとも半秒、0.5秒はかかるのだが、それをメディア・サイドが壁を越えてくる為に、「半秒に遅れずにする」という症状のことを指す。半秒以下での認知と視角。その単位はどう数えればいいのだろうか。そこでモジュレーションとしての音楽は、明らかにディーセントでいて、予定調和を逸れる。

 そんな予定調和を逸れてきた、ニルス・ペッター・モルヴェルというノルウェーのトランペッターが拓く道には常に「フューチャー」や「ポストモダン」などの冠詞が付随し、ジャズという様式美に打ち込みやDJ的なプロダクションでサウンド・メイクを試みたせいか、97年の《ECM》からの『Khmer』は、当時のシーンにとても大きな印象を与えた。

 97年前後、ロック・シーンでもダウン・ビートを入れたレディオヘッドマッシヴ・アタックのような音が世界に浸透しながら、ケミカル・ブラザーズ、アンダーワールド、プロディジーなどのロック方面からのダンス・ミュージックへのアプローチが行なわれるなど、兎に角、ハイブリッドな音が今を先へと連れてゆく、過去の遺産は攪拌すればいいとばかりのような空気感に清やかな彼のミュート・トランペットが響き、ブレイクビーツが入りクラブ・コンシャスでもあった『Khmer』が聴き手の感覚の幅を拡げたオルタナティヴなセンスは確かに新しかった。しかし、古参のジャズ・ファンからは「これはジャズではない」という言葉もあったし、フロアーからはビートが少し雑だという言葉もあり、その曖昧な中で「フューチャー・ジャズ」といったカテゴリーの中で、前衛のトランペッターの刻印をおされつつ、確実に作品は重ねられていった。

 初期の衝撃、名盤の誉れ高い00年の『Solid Ether』、02年の手堅い『Np3』などを経て、00年代では、アンビエント的な伸びやかさも目立つ作風となり、メンバーの固定もなされた中での前作にあたる09年の『Hamada』は、実験性もあったものの、主にギター、エレクトロニクス担当のアイヴィン・オールセットとタッグで詰み上げた「箱庭」的な枯山水のような世界観に対して静かな慕情の風情が合った。実際のライヴを観ても、ドラマーとしても馴染みのアウドゥン・クライヴェを入れてミニマルに展開される音風景の先には茫漠とした虚無も見えたりもした。時に、ミニマル・ミュージック系のアーティストやアンビエント系のアーティストが聴き手の意識を「此岸」から「彼岸」に持ってゆくという感覚ではなく、もっと浮揚する感情に名称化が出来ない感じともいえる。

 そこから、彼も何か思うところがあったのか、レーベルを移籍したのもあったのか、メンバーを一新している。アイヴィン・オールセットからノルウェーの気鋭たるスティアン・ヴェスタルフース、ドラマーにはアウドゥン・クライヴェからアーラン・ダーレンと構成が若返った。ヴェスタルフースはドローン・ミュージックを主体に、フィードバック・ノイズの鳴らし方からして、「重い翳り」を備えた作風で知られているが、ジャガ・ジャジスト(注:今現在の彼はHPを見ると、ジャガ・ジャジストへは関わっていない)の『One-Armed Bandit』に参加したり、というような意外な一面もある。その影響も多大にあるのだろう、この新作である『Baboon Moon』には不穏でダークなムードと、ドラマーのダイナミクスがこれまでになく、浮き出ている。モルヴェルのいつも通りの泣くようなミュート・トランペット、その響きを大切にするかのようなアンビエンスがありながら、ヴェスタルフースはエレクトリック・ギター、アコースティック・ギター以外にアナログ・シンセ、ハーモニウム、ハイワット・テープ・エコー、プリペアド・アップライト・ピアノなどの沢山の楽器を持ち込み、これまで通りの彼の作品として向き合うと、思わぬところからハーモニウムやプリペアド・ピアノが聴こえてきて、また、今までにないノイジーな裂け目がインプロヴィゼーションの合間に入り込んでくる。「ノイズ」と「分断」の不穏な美しさ、1曲目の「Mercury Heart」の2分目からメタリックなドラムが重く叩かれ、デモーニッシュな展開を見せるところから、3曲目の「Recoil」におけるハードボイルド且つプログレッシヴ・ロックの変形ともいえるような獰猛なグルーヴもいいが、6曲目の「Blue Fandango」の昨今のポスト・クラシカル勢の音との共振を感じさせるだけでなく、音響に凝った陽炎みたく立ち上る涼しきサウンド・トリートメントなどのアナログ機材から生まれてきた独特の質感は「新しい」と思う。

 といえども、完全なる従来のニルス・ペッター・モルヴェルという枠を越えた作品ではなく、寧ろアヴァンギャルドな要素の中に潜む「静謐さ」こそが、安心もさせてくれたりもするのは、これから彼とヴェスタルフースがライヴやセッションを重ねるにあたって、加え、エアラン・ダーレンの重厚なドラムも確実に新しいケミストリーを起こすことになるだろうと思うからだ。フューチャー・ジャズの旗手がアナログと前衛に戻った、という言葉は相応しくない、まだ過渡期と形容出来る作品である。何故ならば、8曲目の「Coded」辺りの音響空間を聴いたときの、これまで以上に彼のトランペットの美しき残響が深く染み入るのも本懐だと思うからだ。全9曲、ラストの「Baboon Moon」でゲスト・ヴォーカルとしてスザンヌ・サンドフォーの声がエコーしながら、ダイナミックに昂揚へと向かってゆくエンディングへの展開は圧倒的である。そして、一抹の寂しさを含んだ彼のトランペットで作品のカーテンを締める。

 9曲、43分。

 音の流れや構成を楽しむというよりも、ふと入り込んでくる違和感、ノイズ、アタック感の強いドラム、麗しいアンビエンスまでもが同居しながらも、かろうじて、モルヴェルのミュート・トランペットが世界観を保っているという文脈では「これから」を思わせる内容ではなく、「今、このメンバーでおさめておきたかった音」なのだろう。個人的に、次回予告的な作品ではないと思う。ライヴやセッションで『Baboon Moon』は幾らでも「改変」は出来る骨組みであると感じるからだ。「肉付け」されてゆく過程を楽しみにしたい。

 

(松浦達)

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