LAME BORA『Songs Of Coffee From All Over The World』(Rice)

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LameBora.jpg 映画で『おいしいコーヒーの真実』というものがあった。この映画では、エチオピアのコーヒー農家における困窮の問題に触れている。そこからフェア・トレードへ、更には実は"フラット化されていない"世界の病根へと眼が向けられる。但し、コーヒー農家とフェア・トレードの線を単純に結びつけるのは難しいものがある。そこには幾つもの「見えない壁」があるからであり、グローバリゼーションの仕掛ける構造自体の桎梏にも絡んでくる。

 会議、歓談、休憩、もてなし、兎に角、ほぼどんな国でも今やコーヒーは欠かせないものになった。「嗜好品」として、カフェインと目を覚ます作用、独特の香ばしい馨りがありながらも、そのコーヒー産業を巡る構造論と商流チャネルには数多の警鐘も鳴らされてきた魔物のような飲み物の象徴。今は、挨拶代わりにコーヒーを或る程度はどの国でも飲むことは容易く、また、豆が何処のものだとか色んな深み、コクに関してもそれぞれ一家言を持つようにもなってもきた。なお、コーヒーの国別消費高で高いのは断然、アメリカ、ブラジル、ドイツ、日本である。個人的に、日本人とコーヒーと言えば、つい「コーヒー・ルンバ」のような"紛い者としての異邦人感"を憶い出してしまうのと同時に昨今のカフェ・ブームが設定したコーヒーを介した洒脱性を考えてしまうが、今や自動販売機から、街を歩けば目に入るコーヒーショップまで日常生活に欠かせないものになっているのは確かだ。

 さて、コーヒーに纏わる歌たちをラメ・ボーラ(Lame Bora)というグループがプロジェクトとして、録音したのがこのアルバムであり、『Songs Of Coffee From All Over The World』(邦題は『世界のコーヒー・ソングたち』)とそのままのタイトルが付されている。コーヒー生産者のための歌から晴れやかなコーヒー賛歌、「コーヒー・ルンバ」のカバーと多種多様な国の有名な曲と彼らのオリジナル曲が入っている。エチオピアからイスラーム世界に広まっていったコーヒーに敬意を表してか、ラメ・ボーラにはアフリカのみならず、スペイン、トルコ、US、南米、そして、録音がされたドイツの音楽家まで総勢で18名が混じっており、多国籍的に賑やかなサウンドになっていて、グッド・ヴァイヴに溢れている。メンバーと担当パートに関してはちなみに、Fethi Ak(darbouka,bass-darbouka,bendir,def,java drums,talking drums,)、Erdem Balkan(violin)、Ahmet Bektas(ud,tambur,davul,cura,voc)、Omer Bektas(bendir,bongos,udu,zil,mouth perc.,voc)、Pit Budde(6&12 string guitar,dobro,sitar-guitar,voc)、Kazim Calisgan(balama,cura)、Roland Daza(quena,flute,zampona,sax,bombo,voc)、Carolina Gomes-Riono(voc)、Benno Gromzig(bass,double bass)、Klaus Jochmann(accordion,congas,djembe,udu,voc)、Josephine Kronfli(voc)、Carlos Mampuya(voc)、Hilmi Saleh(voc)、Jorge de Santos Sousa(voc)、Ulla Struck(voc)、Myke Tilasi(voc)、Gifford Urquizo(spanish guitar)、Tom Wegner(piano,guitar)がクレジットされている。

 見ての通り、ギター、ベースやバイオリン、サックスに加え、ジェンベという太鼓、ウード、ダルブッカ、アンデスの笛で有名なケーナなど様々な楽器群がふくよかな音の豊かさを確約しており、曲によって非常に多彩な色を見せるのに一役買っている。

 収められている17曲の中で主要曲に触れていくと、1曲目の「コーヒーとグラッパ」はポルトガルのルイ・ヴェローゾの80年代のヒット曲であり、元来のロック・テイストが強い曲を、ここでは軽快なラテン風にリアレンジメントしている。ふと考えさせられるのが4曲目の「労働歌を歌う女たち」。これは、エチオピアの首都アディス・アベバのコーヒー豆選定工場で勤務する女性従業員300人が手拍子と掛け声だけでソウルフルに唄う労働歌。彼女たちの生々しい声がどの国のある人たちの手の元のコーヒーに届くのか、思ってしまう。6曲目の「コーヒー・ルンバ」は日本でもかの西田佐和子女史を筆頭に、最近でも井上陽水氏のカバーもあり、人気曲だが、ここではアクの強くないフィメール・ヴォイスとボンゴ、フルートを軸にフォルクローレ的な流麗さで聴かせてくれる。

 10曲目の「ブラック・コーヒー」も1948年のサラ・ヴォーン、1953年のペギー・リーのもので憶えている方々も多いクラシックだが、ブルージーな重さを保ったフィメール・ボーカルと控え目な音響工作下で、ソロ・パートのギター部分で敢えてウードを使うなど変化に富んだ側面も見せる。12曲目「労働歌を歌う女たち」は、4曲目の男性ヴァージョンで、ほんの30秒ほどのコール・アンド・レスポンス的な遣り取り。ラメ・ボーラのMyke Tilasiが作ったオリジナル曲の14曲目「カハワ~コーヒーをたくさん栽培しよう」の撥ねるリズムと肩の力の抜けたムードも良い。やはり、ロック・ファンとして気になるのは、16曲目の「コーヒーもう一杯」だろうか。1976年の『欲望』に入っていたボブ・ディランの佳曲。もう少し砕けたものにできたろうに、アコースティック・ギターを軸にしたオリジナルに限りなく近い誠実なカバーが為されているのは、彼らの畏敬の念の表れか、それとも、ディランの原曲を解体に近い形でカバーするという行為が出来なかったのか、邪推も出来る。

 このように「コーヒー」を巡って、目の前のコーヒーの背景に拡がる世界を巡って、幾つもの楽器、幾つもの声がビタースイートに被せられてゆきながら、多次元・多文化主義的な視角から再構築されてゆく。このアルバムを聴きながら、捲るブックレット内の工場の中の袋詰めにされたコーヒー豆やコーヒー豆を選定する労働者の写真を観て、横に何気なしに置いて、飲むコーヒーをどんな味が改めてするのだろうか、そんなことを考えてしまうような奥深い"気付き"をもたらせてくれる内容になっている。

 そこに当たり前にコーヒーが飲める環境とは、とても幸せなことなのか、それとも―。

 

(松浦達)

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