D.J.FULLTONO『Planet Mu Juke Footwork Showcase Mix』(Promo CD)

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D.J.Fulltono『Planet Mu Juke Footwork Showcase Mix』.jpg  ジューク/フットワークを語るうえで、その語る人のバイアスというのは避けられないのだろうか? ジェームズ・ブレイクスクリームに混じって、DJラシャドの「Freaking Me On The Floor」がピックアップされた、クラッシュのポッドキャストにおけるナイトウェイヴのDJミックスが示唆するように、イギリスではベース・ミュージックのひとつとして、または一部の評論家が指摘する、初期のダブステップやグライムが持っていた衝動性や暴力性への回帰と捉えることも可能だろう。しかしそれは、あくまで「イギリスでは」と強調すべきだ。

 ベース・ミュージックを熱心に追いかけてきた者なら感づいているかもしれないが、ここ1~2年でダブステップは停滞期に突入している。だからこそ、この魅惑の順応性を携えた音楽を生み出したイギリスでは、前述の回帰的な位置づけでジューク/フットワークを取り入れているのだ。つまり、初期のダブステップが持っていた可能性を失ってしまった、"ポスト・ダブステップと呼ばれるもの"に興味を持てなくなった人たちが、ジューク/フットワークに初期のダブステップの残り香を見出しているのではないか?

 ついでに言及すれば、最近その名を聞くことが多くなった"フューチャー・ガラージ"も、ポスト・ダブステップという泥船と心中するのはゴメンだとばかりに作られた新しい船だろう。だがこちらは幾分精神的な意味、ジャンルや音よりも姿勢を表す言葉として使われていると推察する。"ダブステップ(もしくはポスト・ダブステップ)"で括るには無理が生じる音楽が出てきたが故に生まれた言葉、それが"フューチャー・ガラージ"だろう。そういった意味では、現代的なアプローチで斬新な音を鳴らそうとする"フューチャー・ガラージ"こそが、真のポスト・ダブステップ、未来へと続く新世代の音楽なのかもしれない。

 少し話が逸れてしまったが、"イギリスにおけるジューク/フットワーク"と"フューチャー・ガラージ"は、共にダブステップの現在地から前進しようとする動きであるのは間違いないが、前者は音を取り入れることで、後者はガラージの良質な部分を再発見するというアティチュード的な意味合いでもって、現在地から抜け出そうとしている。これがいまのイギリスにおけるベース・ミュージックの現状であり、この先これらの動きがどうなるかは、もう少し様子を見る必要がありそうだ。

 いままで述べてきたことからすれば、この混沌から距離を置いて分析できる日本の人たちのほうが、ジューク/フットワークを理解し愛することができるのかもしれない。ジューク・キャンペーンの特典として入手できる、D.J.フルトノの素晴らしいジュークミックスCD『Planet Mu Juke Footwork Showcase Mix』を聴いていると、そう思わずにはいられない。本作を前にすれば、マイク・パラディナスがFACTのDJミックスシリーズで披露したジュークミックスも霞んでしまう。それほど、関西を拠点に活動するこのDJは、ジューク/フットワークをわかっているし乗りこなしている。冒頭で話題に挙げたDJミックスで、ナイトウェイヴがジューク/フットワークをスパイス程度でしか使用できなかったことからもわかるように、今までにない独特なリズムと間を内包するジューク/フットワークを最初から最後まで繋ぎ、ひとつのストーリーとして表現するのは本当に難しい。しかしD.J.フルトノは、それをいとも簡単にやってのけている。もちろん実際は難しいのは十分承知しているが、違和感なく次々と速射砲のように曲がプレイされる本作を聴いていると、簡単に思えてしまうということだ。そしてこの事実は、ポリリズム的グルーヴの可能性を広げるジューク/フットワークを、D.J.フルトノは体で理解し感じ取るだけのセンスがあることを証明している。

 最近大型CDショップなどで"フットワーク"と呼ばれる高速ダンスの映像が流れているのを見かけるが、ジューク/フットワークのBPMの速さも手伝って、「果たしてこのダンス・ミュージックはクラブで機能し踊れるのだろうか?」と疑問を抱く人もいるだろう。この疑問に対し、本作は雄弁に答えている。そしてその答えは・・・。ぜひ本作を手に取って確認してみてほしい。自ずと答えがわかるはずだ。

 

(近藤真弥)

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